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● 近況
 4月1日から研修生活がスタート。
 最初の1週間はスーツを着て、朝から晩まで新人研修。
 白衣を着て仕事をしはじめたのは、先週の7日から。
 やっていることは大したことではないし、何にもできないも同然……のわりに帰宅の遅い日々が続いていて。
 びっくりするくらい、書類書きが多いんだなあ。
 しかも、そういうことは大学では教わらないので、イチから指導医の先生がたの手をわずらわせて教えていただいています。明らかに指導医の先生の仕事時間がのびていて申し訳なさすぎるので、同じ病棟に配属された同期の研修医とできる限り情報交換して仕事を覚えていっているのだけど。
 あと、患者さんに点滴する前に、研修医同士で点滴の練習をしまくった結果、いまわたしたちの腕には6つくらい針のあとがあってアヤシイ人みたい。
 そんな新米でも「医師」なので、責任感と緊張感を持って仕事しています。

 そんなこんなで帰宅が遅くなったり、勉強しなければだったりで、パソコンを立ち上げすらできずに寝てしまう今日このごろ。メール、1週間分ためると迷惑メールがすごいのね。
 4月からがんばってるみんな、元気かなあ。
2008.04.13 | Scrap: 雑記  
 受かりました。
 やっと両親の肩の荷を少し下ろしてあげられます。

【追記】
 ばたばたしていたけれど、すこし落ち着いたので追記。

 ネットで合格発表を見たので、間違っていないかどうか3回くらい確認してしまった。これ、夢じゃないんだよね?どうやら現実みたい。
 まず速攻で母に電話して、「受かった!」「よかったー!」
 母は速攻で親戚じゅうに連絡したらしい。祖母2人も、気にかけてくれていて、すっごく喜んでくれたそう。明日実家に帰るから、大学在学中に逝った祖父の仏前にも、学位記と一緒にお線香をあげにいきたい。

(4/13:修正)
2008.03.28 | Scrap: 雑記  
 牡丹の柄の着物に袴で壇上に上がり、学長から学位記を受け取る。学長と握手をしたあと「がんばって」と背中をポンと叩かれた。
 だからだろうか。これまでの卒業式では「終わった」という感じだったけれども、いまはむしろ「これからがはじまりだ」と背中を押してもらったような気持ちが強い。
 1回の留年を経て医学を学んだ7年間、しんどいこともいろいろあったし、やめたほうがいいんじゃないかとか、医師には向いていないんじゃないかなんて思ったこともある。
 でも、先生がたや職員のみなさん、先輩、同級生、後輩、そして家族や大学以外の友人に支えられて、なんとかここまでたどり着けた。
 いまだって正直なところ、医師になるという選択をしたことについて、「えらいところに来てしまったもんだ」という気持ちがどこかにある。それは、わたしに限らずの話で。医師としてきちんと働きたいという気持ちはもちろんほとんどの人が持っているけれど、昨今の医療情勢をかんがみるに、医療の未来やそこで働く医師の未来はけっして明るいとは言えないことを感じ取っているから。
 これからの医療はどんどん変わってゆく。だから先が読めないし、しかもそれは良い変わり方ではないだろうなということだけは感じられて、無駄に不安になってしまうのだ。
 同級生の多くの心配事は、「国試に受かっているか」と「受かっていても医師としてちゃんと働けるんだろうか」。もちろん、わたしもそう。
 だから、医学科にいた7年間よりもこれからのほうが絶対に大変だし、しかも自分ひとりの力でどうにかなるような生易しいものでもないだろう。
 だから、学長が背中を叩いてくれたことがうれしかった。

 学長は今年退官されて、現在の副学長が学長になられる。
 副学長にはもう、頭が上がらないほどいろいろお世話になった。
 謝恩会でお会いしたとき「君は、ほかの人の手助けなしにはやっていけないんだから、それを当然と思わず、感謝の気持ちを忘れないように」とおっしゃられた。「障害のある人は、どうも手助けのあることを当然と思いがちだから気をつけるように」とも。ドキっとした。その通りだと思うし、そのことを忘れていないかときどき振り返りたい。
 これから働く先の先生も、「謙虚な気持ちで、でも前向きに。問題があったら、落ち込む前にどうすれば問題解決できるかを考えましょう」とおっしゃってくださった。
 出会う人に、恵まれている。

 2年生を2回やることが決まったとき、先生にも両親にも「12年かかってもいいんだから、ゆっくり卒業しなさい」と言われたことを思い出すと、7年で卒業できたことが奇跡みたいに思える。
 謝恩会でお会いした多くの先生がたにも、「卒業できてよかった」とのお言葉をいただいた。あんまりいい学生じゃなかったから、先生がたには迷惑のかけ通し、お世話になりっぱなしでどちらにも頭が上がらない。
 この7年間ですこしは成長しただろうか?
 7年間というと生まれたての赤ちゃんが、もう小学校1年生になっているくらいの年月なのに、振り返ってみれば長かったような短かったような不思議な感覚に陥る。
 入学時にもらった「入学に際しての決意書」を卒業式の前に返してもらい、翌日おそるおそる読んでみたら、頭を抱えたくなった。この恥ずかしさはなに!?もう、二度と見る勇気がない。なんということを書いていたのだろう、あのときの自分を殴ってでもこれを提出するのを止めたい!という感想が出る程度には成長したと言っていいのかも。

 先生だけではない。入学時の同級生にも、一緒に卒業した同級生にも恵まれた。留年して、でもこの同級生たちと一緒に勉強ができたことに感謝している。あまり関係のよくなかった人とも最後の最後にうれしいできごとがあって、しんどかったことが全部それだけでふっとんだ。
 これからはみんな各地にちらばるから、なかなか会えない友だちもいる。
 けれども、フィールドが同じだという気持ちが根底にあるからか、そういう人たちとも「しばらくのお別れだね」と笑顔で握手。また会えるかもしれないし、実際に会えなくても医学の世界で会うことはできる、そんな気持ちだ。
 ふしぎと悲しいとか、寂しいとか、そういうことを朝から晩までまったく思わなかった1日。

 この大学で、医学を学ぶことができてよかった。
 学ぶ機会を与えてくださり、よい学生ではなかったにも関わらず最後まで支えてくださった大学にはどう感謝の気持ちを伝えていいかわからないほど、感謝している。
 今後も学ぶ機会を与えてもらっていることに感謝しつつ、学んだことを少しずつなんらかの形でだれかに還元できたらいいなと思う。
2008.03.27 | Scrap: 雑記  
 3月22日、柔道部の後輩が卒業生の追い出し練習と追い出しコンパ(略して追い練、追いコン)をひらいてくれた。
 人工内耳には武道などの頭を打つ可能性の高いスポーツはご法度だったから、きちんと柔道部員として試合に参加していたのは2年生まで。2003年に人工内耳の手術をしてからは、幽霊部員と化してしまったし、残念ながら黒帯も取れずに終わってしまった。
 そんなわたしだけど、後輩たちはことあるごとに飲み会などに呼んでくれていて。まるっきり役に立たない先輩だったにもかかわらず、そういう心づかいがすごくうれしかった。後輩のひとりなんかは、わたしと話すときははっきり、ゆっくりしゃべってくれ、しかもそのあと健聴の人としゃべるときもそれが持続してしまう、なんていうワザを身につけてしまったほど。

 今年卒業するのは、医学科6年生のわたしと、看護科4年生の後輩がひとり。わたしは練習に参加できないから見学だけれど、ひさしぶりに柔道の練習を見て、いろいろと思い出した。
 高校時代、2年生までは体育とは別に「柔道」の授業があったことや、先輩とのご縁があって柔道部に入部。スタミナがなかったからしんどかったけれど、それなりに楽しく柔道をやっていたと思う。
 やっぱり、背負いや大外がキレイに決まるとうれしかった!
 苦手だったのは内股。これは股関節が柔軟でないと難しくって、当時はまだ関節の可動域がせまく、体もかたかったから苦労した。内股が得意な先輩は180度開脚ができていて、はじめて見たときにびっくりしたなあ。
 そういえばわたしは右利きなのに、なぜか柔道のときは左組手。
 最初は右利きだから右組手で練習していたけれど、試合のとき夢中になるとどちらでもできている、ということに気づいた先輩が左組手で練習するようにと勧めてくれたのだった。

祝卒業:ケーキ

 写真は、みんなで作ってくれた卒業祝いのケーキ。
 後輩たちはわたしが聞こえづらいことを配慮してくれてか、追いコンにもいろいろと工夫をこらしてくれていた。
 先輩にも後輩にも恵まれたなあと思う。
 本当に、ありがとう。
2008.03.23 | Scrap: 雑記  
 高校に入学したとき、クラスのなかで最初に仲良くなったのは、名簿の並びでわたしの後ろにつづくふたりだった。イニシャルT・T・T。
 わたしを含めた3人、最終的にみんな医療系に進学した。わたしと、ひとりは医学部に。もうひとりは薬学部に。そして、大学に入学した年はバラバラだったのに、浪人やら留年やらいろいろな要素がからみあって、なぜかみんな今年が国家試験だったんである。医師国家試験が2月16〜18日、薬剤師国家試験が3月8・9日。
 それで、薬剤師国家試験が終わるのを待って、3人で3月20・21日に1泊2日の旅行に出かけてきた。
 行き先は、長野県の松本市。
 友だちのうちひとりは「温泉があってのんびりできて美味しいごはん」、もうひとりは「みんなと行くならどこでも」というので、わたしの一存で松本になった。目的は、松本市美術館の草間彌生展示室。思いっきり趣味に走ってしまってごめんなさい、だけど、意外にみんな楽しんでくれたみたい。

 松本までは、京都駅から「しなの」に乗って3時間半ほど。
 だけど、3人寄ればなんとやら、ものすごい密度の話―お決まりの国試の話からはじまり、就職、今後の将来像、恋愛・結婚など、で3時間半がうめつくされ、「まだまだ足りない!」くらい。

 20日はあいにくの曇天だったけれども、目的の松本市美術館・草間彌生展示室の圧倒的パワーにみんなエネルギーをもらったのか、元気に話の花を咲かせた。

松本市美術館

 門を入ってすぐ、草間彌生の作品がお出迎え。
 パワフル!
 展示室も、「すごい」のひとこと。1回まわったあと、もう1回見てしまった。

草間彌生ふう自動販売機

 こんな自動販売機があった。一番上の段は、残念ながら非売品だそう。

 この日、泊まったのは美ヶ原温泉のお宿。
 白魚の踊り食いを初体験。あのちっこくて黒い目に罪悪感がふつふつと沸いてきたが、意外においしい。こまごまとしたお料理がいくつも出てきて、美味しいやら、お腹いっぱいやらでうれしい悲鳴。
 朝ごはんには初体験の信州みそをあぶったものが出て、これもおいしかった。
 ここのお宿は、ご主人が打ったおそばを夕ごはんに食べられるそう。でも、もうお腹がいっぱいで食べられなかったのが本当に残念。
 その代わりご主人に美味しいおそばのお店と、おいしい湧水の出るところと、松本城周辺のみどころ、どんなふうにまわったらいいのかを教えてもらった。ガイドブックを一応持っていったものの、それよりもお宿の人に聞くのがいいかも。自分がぜんぜんチェックしていなかったようなところとか、地元の人ならではのオススメなおそば屋さんとか、とりあえず聞いてみることで新しい発見がいっぱいあって、それもまた楽しかった。
 温泉は小ぢんまりとしたもので、露天風呂に梅の花が植わっていた。それを見上げると視線の先には満月。
 「こうやってのんびりして、いろんなものを洗い流して、すっきりとこのまま国試も合格していたらいいね」

松本城

 翌21日はいいお天気。
 お宿をチェックアウトしたあとうっかり道に迷っていたら、たまたまお宿のご主人が運転する車に行き会い、用事を済ますついでだからと車に乗っけてくれた。しかも、道すがらガイドまで。本当に、なんていうんだろ、長野は滋賀よりも寒かったけれど、気の置けない友だちと旅ができるということや、こういった出会いを思い返すと、気持ちがぽかぽかしてくる。
 あちこち歩いて、松本城も見て(梅の花がきれいに咲いていた)、旧開智学校をまわって。けっこうぎりぎりに帰りの「しなの」に飛び乗って、そこでもまた話す話す。
 みんな25歳。国試やら就職やら仕事やら、これからどうなるんだろねって悩みはつきない。だからこそ、こうやって話ができる友だちがいるって心強い。わたしがこの人たちと一緒にいて落ち着くのは、物事のいい面を積極的に見ようとしているところと、でも悪い面もちゃんと見ているところ、話すときはネガティブなことでも笑って話せること、そしてなによりも、しょっちゅう会ったりメールしたりしなくても会えば会話がはずむところ、が理由なのかなと思う。
 それに、めいめいが違うことをしていてもリラックスしている。
 たとえばひとりが本を読んでいて、あとの2人が喋っているとか、仲間はずれとかそんなのではなくて、それが心地よい空気として流れている感じがあって、そこがいいなあと思うのだ。
 みんな性格も得意分野も全然違う。その違いをこれからも大切にしたい。しみじみとそう思う旅行だった。
2008.03.21 | Scrap: 雑記  
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