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Amazon.co.jp:わすれられないおくりもの
 きのう、「生きることと死ぬこと」について書いた。
 そうしたら、いつも読んでいるブログ「日々是よろずER診療」で、絵本『わすれられないおくりもの』のことについて触れられており、「あっ」という声とともに記憶がよみがえってきた。
【日々是よろずER診療:わすれられないおくりもの

 『わすれられないおくりもの』は、実家の本棚にいまも並んでいる。
 むかし読んだときは、なんて悲しい話なんだろうと思うだけだったけれど、いま振り返ってみると、それだけではない深い想いが込められているように思えてならない。
 この絵本は、ひとりの人が死ぬということについての大事なことを、素敵でわかりやすい言葉で伝えてくれている。
 たかだか4半世紀生きただけで、しかもまだ医師にもなっていないタマゴ状態のわたしが、あれこれと言葉をこねくり回しても「生きることと死ぬこと」について言うことに説得力ははっきり言ってあまりない。だけど、この絵本には心に染み入ってくる何かがあるのだ。
 生きること、死ぬこと。死ぬことは、この絵本のアナグマさんの言葉を借りれば「長いトンネルのむこうにいく」ことなのだと思う。長いトンネルのむこうに行ってしまって、すぐには会えないようになってしまったけれど、アナグマさんはみんなの心に思い出として残っている。アナグマさんとの楽しい思い出、それが森のみんなにとってわすれられないおくりものとなった――そのように「トンネルのむこうに」いけたら、どんなにかいいだろう。
 もちろん、そのような死にかたをしたくない人もいると思うし、「どのように死ぬか」は人それぞれだ。
 でも、冒頭のエントリで、なんちゃって救急医先生が
> 今現在の自分の生き方において、どんなものを自分の周りにのこしておきたいか、ということを自らでお気づきになるかもしれません。
 とおっしゃるように、「どんなものを自分の周りにのこしておきたいか」ということと、「どんなふうにトンネルのむこうに行くか」ということを患者さんご自身が考えることのできるような環境づくりは、医療という立場から見ても、これから必要になってくるのではないだろうかと思う。

 「日々是よろず救急」のエントリでは、「お看取り」についても触れられている。実は、わたしも患者さんを見送った経験が1度だけあり、そのときのことを思い出した。「苦しかっただろうけれど、一度も死にたいとは言わなかったんですよ」とおっしゃるご家族の顔がおだやかだったのが、いまでも印象に残っている。

 生きることへの意欲を失わず、でも最期のときを心おだやかに迎えることができないだろうか。「死ぬこと」から目をそらし、結果として自分の「生きること」からも目をそむけてきた結果が、最期のときに最悪の形となるような結末を迎えてしまうことがある、それはどうしようもないことなんだろうか?
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2008.03.17 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:古道具 中野商店
 恋愛って、なんでこんなにまどろっこしいんだろう。
 一種の才能というか、向き不向きは絶対あると思う。
 そして向いているかいないかで言えば、自分にはあんまり向いていないような気がしている。どろどろした愛憎劇、ましてや浮気なんかとは、できる限り縁のないところにいたい。というより、浮気をするだけのエネルギーもない、というのが自分の実情かもしれない。
 だから、「銀行に行ってくる」と称して浮気にいそしむ中野さんなんかを見ていると、ただ「よくやるなあ」と感心するばかりだ。感心してどうする、という話だが、本当にどこからそんなエネルギーがわいてくるんだろう。わたしなんて、浮気することを考えただけで疲れるというのに。

 「古道具 中野商店」は、骨董やアンティークというほど古くはなく、でも新品でもない、ほどよく古くさい(よく言えばレトロな)商品を扱うお店だ。
 現代から見ると、ほんの少し変わった商品。そんなものたちがごった煮状態になって、お店にあふれている。そして中野商店とそのまわりの面々は、店主・中野さんをはじめ、中野さんのお姉さん・マサヨさん、バイトの「わたし」ことヒトミちゃんとタケオ、といった主だった人だけ抜き出してみても、微妙にどっかズレた人たちが集まっていておもしろい。
 わたしには一生かかっても理解できなさそうな恋愛話が書かれていたりするわりに、なんだか親しみを感じてしまうのは、この「微妙なズレ感」のおかげかな、とふと思った。いや、自分がズレているかどうかという話ではなく、ふとした瞬間の心のささくれ・ズレなどが妙にリアルで。
 「あー!いらいらする!」と何度も頭の中で思ったはずなのに、最後は心にすとん、と落ちる感じがした。
2008.03.12 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:ダ・ヴィンチ・コード (上)Amazon.co.jp:ダ・ヴィンチ・コード (中)Amazon.co.jp:ダ・ヴィンチ・コード (下)
 最初に断っておきたいのだけれど、わたしは映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見ていない。なのに、まるでアクション映画かサスペンス映画でも見ているかのように、一気に映像が駆けぬけていった。
 スピーディでスリリングな展開。
 日本人にはなじみのないキリスト教の話だからか、ファンタジーにさえ思える。現実味があるようでないような、この感じも映画のようだな、と思った。
 気がつけば手元には上中下巻すべて読み終えた『ダ・ヴィンチ・コード』の文庫本と、あまりの展開の早さにいまだよくわかっていない「謎」の不思議な感じとが残っている。

 結局、なんだったのだろう?
 たとえば小説のなかでの「黒幕」は、下巻に入れば当該のページまで行かなくても予想がついてしまう。でも、その背後にひそむ大きな謎について、結局のところ「答え」がわからないのだ。予想はできるけれど、それが合っているかどうか、解釈がダン・ブラウンの意図した通りなのかはわからない。
 だから、読み終えてもスッキリした感じはなく、「どういうことなのだろう?」と、何度か項をめくりなおした。
 答えがわかる必要は、ないのかもしれない。

 宗教の話はいろいろな意味で難しい話題だから、あえて、あまり触れないでおきたい。敬虔なキリスト教徒の方なら、もしかしたら怒りを感じるのかもしれないが……不謹慎ながら、キリスト教に縁のないわたしにとっては驚きの連続であり、好奇心を揺り動かされてしまった。
 そして、世界には何か大きな存在が(キリスト教のことにとどまらず)、あるのかもしれないなとぼんやり思う。言葉にできない何か、がありそうな気がしてならない。もちろん、ただわたしが感じただけではあるが。
2008.03.09 | Bookshelf: 本棚  
新潮社:yom yom vol.5新潮社:yom yom vol.6
 パンダにすいよせられて、1年近く。気がつけば yom yom も vol.6 まで発行されていた。
 vol.6 はなぜだかいつもより分厚く、そしていつもより書店での減り方が早くてびっくりしたのだけれど、これは小野不由美さんの『十二国記』シリーズ最新作(丕緒の鳥:ひしょのとり)が掲載されていたから、ということらしい。同じく vol.1 からの yom yom 愛読者で、かつ『十二国記』の愛読者でもある友人が、6年半ぶりの新作だから最後のお楽しみにとっておくんだと言っていたから、ファンには「待望の」といったところだろう。
 わたし自身は『十二国記』を読んだことがなく、最初は独特の振り仮名にびっくりした。中国の歴史ものは、宮城谷昌光さんの小説などで読みなれている、と思っていたが、そういうのとはまた違う。それに、歴史ものかなと思ったらファンタジーのようでもあり、なかなかに幻惑的。
 どうにも振り仮名なしだと読みづらくて、「なんて読むんだっけ?」とページを前後させていたのだが、たったひとつの短編なのに広がりのある世界を感じ、読みづらさを押してでも読んでみたい、と思わせてくれるものがあった。
 それを友人に伝えると、貸してくれるとのことで、いまから楽しみ。
 そして『十二国記』新作に限らず、vol.6 はなんだかラインナップが豪華。
 畠中恵さんの『ひなのちよがみ』は、長崎屋の若だんな・一太郎と手代の兄やたち、さまざまな妖怪が活躍する『しゃばけ』シリーズの一作。このシリーズが大好きなわたしだけど、まさか yom yom に載っているとは思わなかったので、ニンマリとほおがゆるんでしまった。

 vol.6 が豪華すぎて vol.5 のことが霞みがちだけど、こちらもいい。川上弘美さんの『貝殻のある飾り窓』は、まるで雨上がりのような読後感。
 おなじみの作家さんもうまいものだ。どこかで少しつながっているけれども、1つの作品として読むことのできる短編読みきりが掲載され、これはどこでつながっているんだろうと考えるのがひそかな楽しみになっている。
 エッセイも捨てがたい。ゆっくり、ちまちまと読むのが本当に楽しい。
2008.03.04 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:ぼんくら (上)Amazon.co.jp:ぼんくら (下)
 わりに時代物が好きで、けっこうよく読んでいる。
 4年半ほど前に入院したとき、暇をもてあまして院内図書館から借りてきた池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』にはまり、『仕掛人藤枝梅安』シリーズもそのあと次々に読んだ。
 司馬遼太郎さんの作品も父親が好きで、実家の本棚に並んでいたのを何冊か読んでいるし、もちろんこの『ぼんくら』の作者である宮部みゆきさんの時代物も手にとっている。霊験お初回向院の茂七にもなじみが深い。
 宮部みゆきさんの時代物では、等身大の人間の姿や普段の町人の様子、ひょいと何かが顔を覗かせる怖さなどが軽妙洒脱な語り口でつづられており、つい引き込まれてしまう。なにより、出てくる人に魅力がある。それも、現代で言うカリスマというのではない。小ずるかったり、失敗ばっかりしていたり、ちょっと短気だったり、だれにでもあるような欠点がある。でも、なんだか憎めないし、そこがいい。

 この『ぼんくら』の主人公、井筒平四郎も掛け値なしの「ぼんくら」同心だ。仕事に対する熱意とか、やる気とかをどこかに置き忘れてしまったんではないか、というような、だらりとしたお人である。
 でも、肩肘をはらないその「ゆる~い」感じが、平四郎ほどにはぼーっとしていない物語のなかにあってはちょうどいい。他の登場人物もこれまた個性的で、次第に緊張感をましていく物語にすがすがしい風を吹き込んでいる。
 それにしても。いろいろなものに対してぎちぎちに厳しくあることや、許せないと思い込んでしまうことはよくあることだが、一歩まちがうと何か恐ろしいところに落ち込んでしまうのではないかという気がしてならない。それを昔の人は、幽霊であったり、なんらかの怪異として感じていたのだろうか。
 世の中にはいろんな人がいて、その「いろいろ」が受け入れられないと、この世は息苦しいものになってしまいそうだ。
 人ごとではない。まっとうに健康でお天道様の下を歩いている、ということはとても貴重なもので、いつなんどき自分も「そちら」に落ちるかわかったものではない。いや、「自分がまっとうで健康に生きている」ということも、実は思い込みなんではなかろうか。
 そう考えると背筋が寒くなったが、平四郎を見習って、考えてもしょうがないのであんまり考えすぎないようにしようかな、というところに落ち着いた。

 蛇足かもしれないが、本作はこんなことを考えなくても、素直に笑いありスリルありでテンポよく楽しめる作品だと思う。
2008.02.28 | Bookshelf: 本棚  
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