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Amazon.co.jp:アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶
 芸術は――特別なものではない。
 特別な誰かのためでも、高尚なものでも、また特別な何かを描いたりするものでも、本来はないはずだ。芸術はわたしたち人間とともにあり、常にわたしたちの魂に寄り添っている。普段は気づかないだけで。
 なぜだか、強くそう思った。

 アンリ・カルティエ=ブレッソンは20世紀を代表する写真家であり、有名な写真家集団「マグナム」をロバート・キャパらとともに創設した。この映画は2003年、アンリが93歳のときに撮られたもので、彼自身の言葉と彼を知る数人の言葉、そして写真、音楽、によって構成されている。
 それだけの、1時間とちょっとのドキュメンタリーなのに、気づいたら涙が出ていた。どうしてなのかは、わからなかったけれど。
 映画が撮られた翌年、2004年にアンリは95歳で亡くなっている。
 カメラの向こうの、うすいブルーの澄んだ目がきらきらとして、とてもキュートな人だった。少し耳が遠くなっているのか、両耳に補聴器をかけて、好きな音楽を楽しんでいた。

 【目:EYE】
 「瞬間の記憶」は邦題で、原題には「The Impassioned Eye」とついている。「Impassioned」を手元の英英辞書で引くと、次のように書かれていた。
 "full of emotion"
 瞬間を切り取る目。
 現実を見る目、現実につき動かされて心の目で見る情景。
 それを持つことは、きっと「写真」にとどまらずに、さまざまな分野で必要なものなのだと思う。
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2008.03.11 | Movie: 映画  
 美しい風景のなかで、見えたのは過酷な「国死、もとい国試ロード」だった……。あ、なにもしていないのに息切れとめまいがする。

 「サン・ジャックへの道」がどんな映画かなんて、見た人だけが感じられることだ。
 キリスト教の聖地である「サンティアゴ・コンスポテーラ」への巡礼の旅、という文句だけを見れば宗教的でキリスト教の考えが強い映画だと思うかもしれない。
 ある意味で、それは正しいし、それは間違っている。
 宗教的といえばそうなのだけれど、もっと根源的なもの――「人生とは」という問いを、わたしは映画のスクリーンごしに聞いた気がした。
 それに、画面に映し出されるのはキリスト教の巡礼の旅なのに、なぜか「お遍路さん」のイメージが重なる。どちらも詳しくないので、イメージだけで言っているにすぎないのだけれど。
 宗教や人種や、そのほかいろいろなワクを超えて、見えてくるものはなんだろう。

 淡々としているなかに、しみじみとした味わいがあり、見ている間よりも見たあとに「何かが残った」という感じであった。
 わたしの場合、坂道を登る苦しい行程があたかも国試の前の自分のように見えて、思わず「うう」と声にならない悲鳴を心の中でもらしてしまった。
 映し出される画面のなかに、「何を見るか」は人それぞれ。
 きっと、来年見れば、また来年の感想がある。そういう映画だと思った。

【サン・ジャックへの道】
 http://www.saintjacques.jp/
2007.04.30 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:ブロークンフラワーズ
 ビル・マーレイは本当に、さえない中年役をやらせたらしっくりはまる。
 「ザ・ロイヤルテネンバウムズ」や「ライフ・アクアティック」なんて、いい例だ。それに「ロスト・イン・トランスレーション」も。
 このくたびれ具合とか、哀愁ただよう感じとか、何もしゃべらなくても立っているだけで微妙なおかしみがかもしだされる。表情の変化なんて、ほとんどないのに!それがまた、なぜだか妙にいとおしい。

 そんな「さえない中年」の、(たぶん)自分探しの旅。
 どんな風にでも見ることができると思う。
 わたしの場合、とまどっていても、いつになっても、どこにでもいけるのだ、というヘンな勇気をもらった。
2007.03.10 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:奇人たちの晩餐会
 この映画についてひと言でも書いたら、おもしろさを奪いそう。
 ここで書いている感想のようなものは全部、基本的に未読・未見の人から「おもしろさを奪う」危険があるのは承知のうえで、この映画はとくにそれを強く思う。
 それに、この映画のおもしろさを、言葉では説明できない。
 というより、ほかの人がおもしろいと思うかどうかも不明だ。説明されてわかるようでは、おもしろくないのだろうし。
 理屈抜きに、笑った。
2007.03.09 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:アワーミュージック
 ふしぎな映画だ。映画、と呼んでいいのかどうか迷う。
 これがわたしとゴダールとの、はじめての出会いだった。
 核となるのは「戦争」と「生死」。
 ある意味で非常にわかりやすいけれども、ゴダール独自の感性で切り取られた前衛的な作品で、見るものを混乱と思考のうずの中に沈めてくれる。

 話は脱線するが、中学生のころサラエボ*に住む女の子と文通をしたことがある。つたない英語を駆使してやりとりをしたけれども、けっきょく数回で連絡が途絶えてしまった。
 いつだったか、写真を同封してくれた。青い目の、ブロンドの女の子。あの手紙はどこに行ったのか、いまはもうない。ボスニア・ヘルツェゴビナ*の治安は回復したと聞くが、彼女はどうなったのだろう。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争*も、すでに10年以上前のことになった。
 わたしが生きてきた、たった20年ほどの間だけでも、いくつもの争いが各地で起きている。
 湾岸戦争。イラン戦争。ルワンダ、コソボ、チェチェン。
 神話の時代から尽きることのない争い。
 そして、その争いについて語る言葉をもたなければ、歴史的敗者となって消える。
 
 「アワーミュージック」について、わたしは多くを語ることができない。なにしろゴダール、彼に出会ったのはこの作品がはじめてなのだ。彼の映画について語る場合、彼について知る必要があるという気がする。
 いちおう、簡単にいうと映画の構成は「地獄編」「煉獄編」「天国編」3つのパートからなっている。主体となるのは「煉獄編」で、ゴダール自身が登場している。しかし、ドキュメントではない。かといってフィクションでもない。また、いたるところで映画の(フィクションの)映像、ドキュメンタリの映像が交錯しあい、この映画の不確かな印象の一因となっているように感じた。
 ひとつだけわたしが強く思うのは、「アワーミュージック (our music:notre musique)」つまり「わたしたちの音楽」でいうところの、「音楽 = music = musique」とは、いま現在わたしたちが聴いて楽しんでいる音楽というだけの意味ではないだろうということだ。はっきりとはわからないが、もしかしたらそれは「よい調べ、音(おん)の調子」ひいては「福音」をしめすかもしれない。
 わたしたちにとっての福音とはなんだろうか。
 救済が万人に平等に訪れることはあるのだろうか(いや、ない)。
 「わたしたちの音楽」
 ゴダールが指し示すものは、大きすぎてつかみ切れなかった。

*ボスニア・ヘルツェゴビナとサラエボ
 ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年に旧ユーゴスラビアから独立した国で、サラエボがその首都である。世界地図では、バルカン半島(イタリア半島の東にある)の西側に位置している。
 バルカン半島はボスニア・ヘルツェゴビナのほかに多くの国を有しているが、ここは民族的、宗教的に多彩な土地がらで、第一次世界大戦が勃発するきっかけもここの民族問題であった。それ以後、宗教・民族問題が多く発生している。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争もそのひとつ。
2007.02.14 | Movie: 映画  
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