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Amazon.co.jp:思い出トランプ
 作家:向田邦子の直木賞受賞作「花の名前」「犬小屋」「かわうそ」をふくむ13編からなるこの短編集を、夢中になって読みすすめた。
 13編のそのどれもが、道ばたの小さなどうということのない石ころをていねいに磨きあげたような、なんともいえない雰囲気をもっている。
 道ばたの石ころと同じようにありふれていて、とりたてて変わったところがあるわけではない人々とその日々の、ある瞬間を向田邦子の手は切り取り、光をあて、そこにできた陰影をえがき出す。
 平凡な人生の陰影、とりわけカゲになる部分の描写にはっとさせられ、心のなかにていねいにしまっておきたいような気持ちになった。
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2006.06.30 | Bookshelf: 本棚  
天才マックスの世界
 簡単に説明してしまえば、「高校生が主人公のコメディで青春」と言ってしまえるかもしれない。
 けれど、王道のようでいてナナメ15度くらいのわかりにくさで王道とはズレている。そのズレ具合が楽しくて、監督・脚本をつとめるウェス・アンダーソンは、きっと性格悪いだろうなあとうきうきしてしまった。

 まず主人公は高校生。
 でも普通の高校生じゃない。なんたって「天才」なんである。
 天才マックス、彼が主人公。
 しかもただの天才じゃない。
 「なんでもできて、スーパーマン」の天才なんて、(文字通りの意味で)お話にならないけど、マックスはちがう。彼の才能は学校のワクをとびこえてしまうほどのものだけれども、そのほかの部分では気の毒なほどに不器用だ。そのアンバランスさはマックスだけではなく映画全体にいえることで、割り切れないたくさんのアンバランスなものがぎゅっと詰まっている。
 そんなアンバランスな人生そのものへの優しい目線が、
 この映画の魅力であり、逆にダメな部分。
 いいと思うか、悪いと思うかだけの違いなのだけれども、好きな人は好き、嫌いな人はきっと嫌いだろう。

 ジェイソン・シュワルツマン演じるマックス、ビル・マーレイのブルームはもちろんのこと、個人的にはマックスの父親がいい味出している!と思う。
 それにしても音楽が憎いね。いい音楽をいい場所で使っているな、というのはあとづけの考えで、見ているときは音楽との相乗効果でクスっとしたりジーンときたりした。
2006.06.29 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:島とクジラと女をめぐる断片
 この本について何かひとこと言うなら、「島とクジラと女をめぐる断片」というこの本の名前を言えばよい。それがすべてをあらわしている。
 見聞録のかたちをとっているが、すべての断片を寄せ集めてひとつのストーリーになるというようなことはない。断片はあらかじめ決定されたジグソーパズルのピースではなく、それぞれ異なる性質をもっていて(この本は章ごとに手紙、エッセイ、短編などのさまざまな形式で書かれている)、だからわたしは断片と断片をつなぎあわせるなどという作業を読み始めてすぐに放棄してしまった。
 にもかかわらず、ふしぎなことにすべてを読み終わってしまえば、目の前に広がるのは青い海とクジラと、男と女と、地図上のひろがりと、時間軸のひろがりと、つまりは海を中心にしてひろがる世界そのものだったのだ。

 3つのすみに正三角形のカドだけ描かれた絵を見て正三角形が見えるように、あえて断片だけ配置することで、余白のなかの、書かれていないけれども想像力にうったえかけるひろがりがある。
 それが小さな本の中に行儀よくおさまっていて、次に見るときはどのような絵を見せてくれるのだろうと思わずにはいられなかった。
2006.06.28 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:仮面の告白
 高校時代に読んだ本を、23のいま再読した。
 最初に読んだときはそのエロティックな表現に圧倒され、ただ呆然とするばかりであったのを覚えている。

 ともあれこれを書いているのは真夜中のことで、思考と言葉が断片化され散文的になってしまっていることをまずは断っておかなければならないだろう。
 『仮面の告白』は作者:三島由紀夫の自伝的性質をもつ小説、であるらしい。けれども自伝的要素を(もしかしたら)含んでいるものの、これは三島の自伝ではありえない。
 この小説の根底に一貫して流れている二律背反、アンビバレンスは、小説の「私」と三島自身にも適応され、三島自身についての輪郭を構成したかに見えてそのじつ、うまく隠されてしまっている。
 『仮面の告白』という逆説的なタイトルが、まさにその証明となっているのではないか。――白日のもとに露わにする「告白」と、それを覆う「仮面」という一見両立しないものの共存。
 さきに二律背反、アンビバレンスと書いたけれども、それはつまり相反する、あるいは矛盾する二つの対極的な感情や思考が同時に成り立つということである。
 作品の中でとりわけ目立っているのは、女性に対しての不能を克服しようとする感情と、男性の肉体に惹かれる感情との共存であるけれども、それが三島の実際かどうかは別として、おそらくは相反する感情を三島はその身に根として持っていたのであろう。
 そういう意味ではこの作品は三島自身ともいえる。同時に三島ではないともいえる。

 エロスとナルティシズムに満ちてはいるが、わかりやすいそれよりもむしろ陶酔の裏の冷徹な観察眼に鳥肌が立った。
2006.06.27 | Bookshelf: 本棚  
カッコーの巣の上で
 舞台は精神病院。
 ランドル・R・マクマーフィ(マック)は刑務所の強制労働を逃れるために狂人を装い、精神鑑定のため精神病院に措置入院となった。
 しかし、そこは刑務所よりも抑圧された世界で、マックはそれに反抗しようとするが……。

 正直に言えば、マックの生き方に完全に共感はできない。
 精神病院側のやり方にはもっと共感できないけれども、マックのやり方は暴力的すぎると感じるのだ。
 真ん中くらいのちょうどよさがなくて、両極端。
 だからこそ抑圧と自由がよりいっそう対比的で、この映画の演出の巧さを感じさせた。それがいいと思うか、嫌悪するか、それは人それぞれだろうけれども。

 ある意味で、管理され疑問を持たずに生きていることは幸せなのだろう。
 鳥かごの中の小鳥のようなもので、庇護され管理され生きてゆけるのならば、たしかに傷つきやすい魂にとっては幸せかもしれない。大空にとびだして、弱肉強食の世界で生きるよりは。
 マックの存在はそこに投じられた石のようなもので、表面上は静かだった湖に波紋を立たせることになっている。
 それが良かったのか悪かったのか、わたしには量りかねる。
 だれが悪者でだれが犠牲者だったのか、それすらもわからない。
 そういう善悪のものさしで計れる映画ではない、そう感じた。
2006.06.25 | Movie: 映画  

 泉茂(いずみしげる)という画家について、わたしが知っていることはまったく何もありませんでした。
 けれど展覧会のチラシの写真に惹かれて、ふらりと美術館をのぞいてきたのがよく晴れた日曜日の午後で。
 そのくらいのユルさがちょうどいい、そんな展覧会。

 泉茂が向けるカメラのファインダーの先は、
 日常で、でもほんの小さな非日常が混じっていて、
 そのへんのセンスは画家のものかもしれないと思います。
 ちょっと気になったものを映した、そんな感じ。

 写真のプロではないから衝撃とかインパクトとか、そういうものからはちょっと遠いけれども、ファインダー越しの世界はふだん気にもとめないようなもので、そこの視点は人によっては新鮮かも?

【画家泉茂の写真展】
 2006年5月27日(土)~6月25日(日)
 滋賀県立近代美術館
 入場時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:月曜日
2006.06.22 | Art: 芸術  
かもめ食堂
 微妙な距離感と、ちょっとのオカシサと、美味しいゴハンがあたたかくて心地よい映画。

 フィンランドのヘルシンキに、小さな食堂がオープンする。
 その名も「かもめ食堂 (ruokala lokki)」
 小さな日本人女性、サチエが開いたその店を訪れる人は1ヶ月間まったくおらず、グラス磨きをするサチエを見てかしましいオバちゃん3人組に「あの子、1ヶ月もああやってるわよ」なんて言われる始末。

 でもサチエはめげない。
 毎日グラスをピカピカに磨き、しっかりとテーブルをふき、家に帰ればきちんとゴハンを食べ、プールに通ったり合気道をする日々。
 日本かぶれの青年トンミ、ワケありの日本人女性、ミドリにマサコ、その他のフィンランドの人々も加わって、ゆるやかに(ちょっとヘンな)日常が流れていく。

 それぞれの人にそれぞれの事情があり、でもそれについては多くは語られない。
 ただおいしいゴハンと、日常の生活を積み上げて、いまができあがっているのだ。毎日体を動かして、おなかがすいて、ハラゴシラエして、そしてまたゆっくり歩く。いろんなことがあるけれども、それでいい。

 原作:群ようこが得意とする、日常的だけれどもどこかおかしみを感じさせる人々に思わずニンマリしてしまった。
 エキサイティングなものを求める人にはつまらないかもしれないけれども、群ようこのかもし出すゆっくりだけれどけっこう小気味のいい調子は、ハマればハマる、と思う。

【かもめ食堂】
 http://www.kamome-movie.com/
2006.06.11 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:藤田嗣治画文集 「猫の本」
 個人的見解ですが、猫の好きな人とはお友達になれそうな気がする。根拠はまったくありません。わたしが猫を好きなだけ。そして、たぶん猫を好きな人も(希望的観測)。

 よく知らないけどあんまり好きじゃない人がいたとして、
 彼 あるいは 彼女 が猫好きだったりして、
 「猫」と聞いただけで相好を崩すのを見た瞬間
 なぜか親近感を覚える という。
 (お友達になってみたい、と思う程度に)。

 というわけで、初対面の藤田嗣治さんの印象は、彼の絵を見ていくうちに花丸急上昇、したのでありました。
 愛だよ、愛。猫はいい。わがままで愛らしくて、やわらかくてモフモフしていて、のどを鳴らしたり引っかいたりじゃれついたりそっぽをむいたりとびかかったり、小さな体にちょうどよくおさまっている生き物はいい。
 と、ここまで書いていて自分の嗜好および志向をなんとなく認識。

 猫。猫分を摂取しないと。
 だからこの藤田嗣治の、猫ちゃんばっかり集めた画集をふらふらと買ってしまいました。当分の心の養分にしたいと思います。
2006.06.03 | Bookshelf: 本棚  
藤田嗣治展
 生と死 静と動
 一瞬を切り取って静かに横たわる肉―生命
 それを食む画家の目と指
 愛 エロス

 藤田嗣治の視線は対象物の奥底まで深くもぐりこみ、対象物を絵筆でもってあらわにする。
 ただ見えるものを見るのではない。
 見えるものを見えるままに写真のように画面に再構築するなら、写真を撮ればいいのである。
 フジタの目はただ見えるものを見るのではなく、見えるものの核心、あるいは魂をとらえようとするかのようだと思った。
 しかし、その指がひとたび絵筆を執って画面をつくりあげていくとき、そこにあるものの根底にはなぜか静けさが漂う。今にも動き出しそうな前の、その一瞬前の静けさ。

 生命とそれを包む肉体というものが切り取られて絵という皿に乗せられ見るものへと供されるとき、それは食事をするときのような、肉体を食むような、根源的なエロスを含んでいるように感じた。

【生誕120年 藤田嗣治展】
2006年5月30日(火)~7月23日(日)
京都国立近代美術館
入場時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
夜間開館:金曜日は午後8時まで(入館は午後7時30分まで)
休館日:月曜日 (ただし7/17は開館し、翌7/18は休館)
2006.06.03 | Art: 芸術  
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