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イサム・ノグチ展
 世間では大学の夏休みというと、9月いっぱいまであるような長い休みを想像するものらしいが、とんでもない。うちの大学でそんな夏休みがあったのは去年(つまり4年生のとき)だけで、それ以外はどうかすると小学生より短い夏休みである。そういうわけで、今年の夏休みは8月20日で終わった。
 で、いまは大学病院で実習している。
 きょう、思いのほか早く終わったので「そうだ、イサム・ノグチ展を見にいこう」。滋賀県立近代美術館は大学から歩いて10分ほどのところにあるので、こういうことができるんである。

 初対面の印象は、わけのわからなさ。
 うねるフォルム、のびるフォルム、タイトルを見ても「あれっ、なんでそうなるんだろ」と面食らった。
 けれども、見ていくうちにおもしろくなってくる。
 そこにはかたちに囚われない、自由なイマジネーションの翼があり、規定されたかたちよりもどんどん外へと膨らんでゆけるのだ。だから楽しかった。
 たとえば「鳥」と題された作品は、フォルムと「鳥」という言葉だけに囚われていると、鳥の姿は見えない。けれど、ふっと「もしこれが鳥というタイトルじゃなかったら、何に見える?」という声が頭の中でわたしによびかけ、その瞬間鳥が飛び立つ姿が見えた気がした。木に見えたのだ。
 イサム・ノグチの作品は、美術館で見るべきじゃない。
 ひとつひとつ陳列され、「意味のわからない抽象」としてそこにあるのはもったいない。なぜなら、たぶん彼の作品は、ほかのものとの関係性によって生きるからだ。
 つながっていく、ひろがる。
 生命や宇宙のようだ、と思い、そしてイサム・ノグチはそこに彫刻という方法でアプローチしようとしたのだ、そういう気がしてならない。

 【イサム・ノグチ展】
 2006年7月8日(土)~9月18日(月・祝)
 滋賀県立近代美術館
 入場時間:9時30分~17時 (入館は16時30分まで)
 休館日:毎週月曜日 7月17日(月・祝)、9月18日(月・祝日)は開館、7月18日(火)は休館
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2006.08.24 | Art: 芸術  
チェコ絵本とアニメーションの世界展
 さて北斎と広重の浮世絵の鮮やかさとは毛色がちがうが、京都まで足を伸ばしたついでにと、同じ日に美術館「えき」KYOTOでひらかれていた「チェコ絵本とアニメーションの世界展」も見にいってきた。
 かわいいチラシの絵に興味を引かれて、けれど実のところそんなに期待はせず。ところがこれが自分には大当たりで、期待以上だった。
 絵本・アニメーションといえどもあなどれない。
 なにせキュビスムに影響をうけた人たちや、独特のキャラクタを生み出した人たちや、とにかく多彩でしかもアーティスティックな雰囲気をもった絵が多い。
 かわいいというだけではない独特の味わいを持っているし、色彩も形状も表現方法や手段もさまざまで、ひとつひとつの作品はたしかにちんまりしているけれども、人をひきつける力を持っている。
 だれが好きか、ということになると好みの問題になってしまうが、とくにわたしが「これは!」と思ったのは会場最後のアニメーション、その製作者ピーター・シス
 緻密で細かいけれど、無限に広がる世界に思わず見入ってしまった。

【チェコ絵本とアニメーションの世界展】
 8月3日(木)~27日(日) [会期中無休]
 美術館「えき」KYOTO
 入場時間:10時~18時
 入館締切:閉館30分前/最終日午後5時閉館
2006.08.23 | Art: 芸術  
北斎と広重展
 ふと思い立ったのが最終日の17日、これを幸いとJRに地下鉄を乗りついで京都文化博物館まで足を伸ばしてきた。
 葛飾北斎の絵といえば、初夏の神戸まで「ボストン美術館肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」を見にいき、その大胆な構図と筆致にすっかりやられてせいまっていたんである。
 だから「北斎と広重展」ときいて、「北斎か、見にいこう」となったのもごく自然な流れではあったけれども、正直もうひとりの歌川広重についてはあまり興味を持っていなかった。
 が、しかし。北斎と広重が名を連ねているだけある。
 ふたりの浮世絵は実に見ごたえがあって、北斎が静の中にも躍動感ある筆致と色使いを見せれば、広重は墨の彩色を生かした鮮やかな絵を描く。
 浮世絵についてはほとんど何も知らないけれど、朱 紫 藍 墨 緑 黄 など、シンプルな色のみで描かれているにもかかわらず、「錦絵」と呼ばれるのが納得できるほどに色鮮やかで広がりがあった。
 写真では表現できない、絵ならではの風景のいぶき、絵としての息づかいが北斎・広重どちらの絵からも感じられる。
 北斎が動とすれば広重が静という印象で、その差を楽しむのもおもしろいかもしれない。

【北斎と広重展】
 7月26日(水)~8月17日(木)
 月曜休館 (月曜が祝日の場合はその翌日が休館)
 京都文化博物館
 入場時間:午前10時~午後8時
 (入館は午後7時30分まで/最終日は午後5時まで)
2006.08.23 | Art: 芸術  
Amazon.co.jp:男たちの大和
 世界最大の戦艦、大和をめぐるドラマ。
 戦争を描く映画としては、感想が「感動した」で終わりがちだなと思う。それが悪いわけではないし、感動から何かを考えてゆけばいい。けれども「感動した」で終わりそうな危険性を、感じてしまった。
 考えすぎだろうか。
 登場人物のだれもがある一種の熱狂、狂気を持っていて、それは戦争という魔物に取りつかれた時代そのものだったようにも見えた。
 平和への渇望、戦争がなくなってほしいと思うと同時に、人間の持つ底なしの暗さがある限り、きっとなくならないだろうと思う。勝ち目のない戦いだとわかっていても出航し、いともたやすく波にのまれ(それは時代の波ともいえる)、そして戦艦大和は海の底に沈んだ。
 けれど沈んだあと、生きのびた人の姿、そして現代の姿が映し出され、波を切って進んでいく小さな小船には次の時代への強い意思があった、そう思う。
2006.08.13 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:午後の曳航
 ジャン・コクトーは小説『恐るべき子どもたち』(萩尾望都漫画にもした)のなかで、その鋭角的で純粋ともいえる子ども像を描き出している。
 で、三島由紀夫の『午後の曳航』である。これもまた言ってしまえば恐るべき子どもたちの物語、過ぎ行く時間への抵抗の物語(それはすなわち大人になること、成長することへの反抗を意味する)のように見えるが、それは表面上にはりめぐらされた罠だ、という気がしてならない。
 子どもとは、元来そういうするどさを持っているものではないだろうか。新潮文庫『午後の曳航』の解説のなかで「こんな13歳はいない」という旨のことが書かれているけれども、それは大人が自分の子ども時代に対して幻想を抱いているか忘れているか、あるいはその他の理由があるかもしれないが、とにかくそんなことはない。
 子どもの世界は大人のそれにくらべると、ある意味ではずっと狭いが、ある意味で大人よりもずっと奥行きと広がりがあるし、子どもはその世界からのシグナルをつねに彼らなりのやりかたでつかんでいる。世界に触れているかどうかでいえば、より子どものほうが世界と密接につながっていて、たえず世界と交わっている。その鋭角的なするどさはかぼそく弱いように見えて、なにかを貫きとおす力にも満ちている。
 その力は子どもの中に最初から備わっているもので、道徳とか慣習とか慣例とか正義とかいった普遍的な概念によって少しずつ力をなくしてゆくだけなのだ。抵抗というなら、力を奪おうとするそれらの普遍的な概念への抵抗であったかもしれない。
 子どもが殺人をおかすことを時代の乱れだというが、むしろそれはひどく純粋なものであるはずだ(だからといって当然許されることではないし、どんな殺人も現代においては許されない、ただその背景を考えても無意味だというだけだろう)。
2006.08.08 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:海と毒薬
 戦中の九州、米軍捕虜の生体解剖実験が『海と毒薬』の中核である。
 けれど、作者:遠藤周作はそれを糾弾するでもなく、その是非を問い詰めようとしているわけでもないように見えた。おそらく彼の描き出したかったものは、戦争という黒い海の大きな波のうねりに飲み込まれてしまう、人間の(あるいは日本人という民族の)本質なのだろうと思える。
 日本人の宗教観は、おおむね「苦しいときの神頼み」のようなもので、確固たる神をもたない。仏教も、キリスト教も、神道も、かたちだけ残ってその精神が形骸化している部分がたぶんにある。
 神、という言葉が不適切なら、良心といいかえてもいいかもしれない。大きな流れの中に巻き込まれようとするとき、その流れに逆らって自分の正しいと思うところを進んでいく力、正しいと思うものを信じる力。
 この「信じる」という心が大きな流れの前で無力になり、たやすく崩壊してしまうのはよくあることで。『海と毒薬』は、ごく一部の異常者の話ではない。また『海と毒薬』で生体解剖にかかわった人たちが、人間としての何かを欠落していたということも、たぶんない。
 かれらが生体解剖を行ったときの心を狂気とよぶならば、それは日常のすぐ近くでぽっかりと口をあけて待ち構えている。黒い海の流れに飲み込まれて、人はいともたやすくそこに引きずりこまれてしまう。遠い話ではないのだ、それが暗く心に影を落とした。
2006.08.07 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:ウォーターボーイズ
 青春だ!たとえるなら突き抜けるような夏、ときおり夕立や嵐があるけれども雲と青い空の爽快感、暑いなか気持ちのいい汗をながしたような。
 青春特有のもどかしさや情けなさが、コメディタッチですかっと描かれていて。

 今回はテレビで見ました。
 うちにはDVDもあるし、何度もテレビで見ているのにまた見ちゃう。
 佐藤くんのアフロに火がついて、プールに落ちるシーンは頭の中で映像を再生すると、そのたびに「ぐふふ」とヘンな笑いが漏れるほど。今回また見て、やっぱり「ぐふふ」。
 なにかこう、ほんとうにエンターテイメントだなあ。
 なんにも考えないで思いっきり笑ってしまえ、テンポのいい展開にドキドキしながら見るラストシーンはやっぱりスゴイ。
2006.08.05 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:オペラ座の怪人
 このファントム、かっこよすぎじゃないの?
 ジェラルド・バトラー演じるファントムはほんとうにかっこよくて、マントをひるがえす姿にうっとりしてしまいました。
 原作:ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」を子どものころに読んでいたため、ファントムといえば醜い顔に繊細な心と歌声の持ち主というイメージがつよかったけれど、「怪人」の荒々しさをもったバトラーのファントムもいい。仮面の下の顔があらわれてからも変わらず魅力的なのは、愛情をもとめるファントムの苦悩する心を、だれしも持っているからかもしれないなと思います。
 もう、クリスティーヌとラウルの抱擁、うち捨てられた薔薇を物陰から見るファントムのシーンで、ぼろぼろ涙が出てしまいました。
「それでも天国にあこがれる」というファントムの想い、クリスティーヌ、ラウル、三者三様の想いが交錯して愛のかたちについてすこし考えてしまいます。
 ただ、原作を知らないひとにはストーリーの流れがわかりづらく、しかもミュージカルがベースにあるため歌の連続で、ミュージカルやオペラが苦手なひとは退屈かも。
 歌も、原作に沿うならファントムの歌声は繊細で甘美な歌声のほうが似合うのだろうし、バトラーの歌声は地の底からひびくような荒々しさをもっているので、「オペラ座の怪人」に思い入れのある人も納得できないかもしれない、けれどわたしはバトラーのファントムは好き。
 まるでミュージカルかオペラを見ているような印象もありつつ、舞台ではできない映像効果も美しく、特に最初の時間がさかのぼっていく様子の表現などは鳥肌が立ちます。
2006.08.04 | Movie: 映画  
Amazon.co.jp:レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
 家族でみるのに、ちょうどいい映画。
 「世にも不幸せな物語」と銘打っているから、どんな不幸せな物語でどんな救いようのない結末なんだろうと、半分どきどき半分わくわくで見てみたら。すこし拍子ぬけするくらいに難しいことはなにもなく、シンプルにおもしろい。不幸で救いようのない、どん底で最低の気分になるかと身構えていたから、ちょっと肩すかしを食った気分にはなったけれども。
 ジム・キャリー演じる悪役のアクが強すぎて、それがいいところでもあり悪いところでもある。主役を食っちゃう勢いのジム・キャリーの前には、主役の子どもたち3人のよさが生かしきれていない感じで。
 不幸せな物語とはいうけれど、どちらかといえばよくある児童文学のようなファンタジーだった。
 好みがわかれるところだけど、悪くはない。
2006.08.01 | Movie: 映画  
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