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 ジャコメッティとオルセーを見るために、9月29日の金曜日に兵庫の実家に帰省していた。目的のジャコメッティとオルセーを見て満足して家に帰り、ひさしぶりに家族全員で焼肉を食べにいったあと、妹が見たいといっていた「涙そうそう」をレイトショーで見にいったのである。
 結論から言うと、「なんでやねん」という気持ち。
 残念ながらわたしにはどうも合わないな、という感想。
 テレビの2時間ドラマを大画面で見た気分、というのが近い。
 悪いわけではないけど、すなおに「感動」にのれなかったのが残念な感想の理由なのだと思う。オチが見えていても「やっぱりこうきたか、でも許す、おもしろい」となる映画もあるんだけど、「涙そうそう」ではオチが読めてきたころからどうにもおしりのあたりがむずがゆくなって、感動する前にツッコミを入れまくってしまった。すなおじゃない、と妹には言われたし、自分でもそう思うけれど、こればっかりは好みが合わなかったということでひとつ。
 血のつながらない兄弟、一緒に暮らすことになった、のあたりから、もうだめだったのかもしれない。
 オチまで至るラストの展開への、「あんな展開ありえないでしょー」という、妙なリアル感もじゃまをしたのだろう。
 なんにせよこの手のエンターテイメントは楽しんだもん勝ち、リアリティとか気にしないで映画の世界に入り込めるかどうかなんだけれど、そういう意味では、ただ敗北……。
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2006.09.30 | Movie: 映画  
オルセー美術館展
 1999年の夏、父とふたりでオルセー美術館展を見にいった。
 今年が2006年だから、もう、まる7年経っている。
 わたしは高校の2年生で、学校の帰りに制服のまま神戸に行き、父と待ち合わせて展示会がひらかれている神戸市立博物館を訪れたのだった。
 ふたたび神戸市立博物館のオルセー美術館展へと立ち寄ったのは、秋も深まろうとしているこの9月のおわり。土曜日のよく晴れた日で、これは絶対混んでいるにちがいないと思っていたら、まずまず人は入っているもののぎゅうぎゅう詰めというほどでもなくて良い感じ。
 さて訪れるまでは「父と一緒にここに絵を見に来た」というあいまいな記憶しか残っていなかったのに、中に入ってすぐのところで「オルセー美術館展ガイドブック」(100円で売られている)を目にするなり思い出が色づき始めるよう。7年前もこのガイドブックを買ったんだった(今回のは黄色の表紙、7年前のは青い表紙)、しかもいまだに手元にある。忘れていたけど、実家から下宿に持ってきていた手紙や写真の束の中を探ると、ゴッホの「星降る夜」とホーマーの「夏の宵」の絵はがきと一緒に出てきたんである。
 そんな思い出のオルセー美術館展、神戸市立博物館で開催されるのはこれが3度目らしい。くしくも、その2度目と3度目を見ることになったわけだ。今回のガイドブックによれば、3度目の今回が3部作の最後として、3度のオルセー美術館展のまとめとなるそう。
 今回は印象派の画家たち、―ドガ、モネ、マネ、ドニ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ―などを中心にして展開され、よくまとまった構成になっている。そのほかに写真、彫刻、陶器も出品され、なかでも写真のコーナーでアルフレッド・スティーグリッツの「ジョージア・オキーフ」と出会えたのは嬉しい衝撃だった。夏に見にいった東京国立国際美術館の「ばらばらになった身体」で、手だけの登場だったオキーフの、これは顔をうつしだしている。
 モローも1品だけ出ていて(「ガラテア」)、あやしいまでのエロティシズムをただその1品だけでも感じ取ることができた。
 印象派の作品では、小品ながらも有名な作品がちらほら見られ、「アルルのゴッホの部屋」(ゴッホ)や「黄色いキリストのある自画像」(ゴーギャン)を生で見ることができる。筆のタッチまで肉薄して見られるのは、やっぱり本などでは味わえない醍醐味!
 印象派の画家たちでは、とりわけ画家のアトリエや友人の画家を描いた作品のコーナー(第4章:芸術家の生活)がおもしろく、ポスターの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(マネ)もここにある。その当時の画家たちを想像してみることで、楽しいひとときを過ごせた。
 来年の冬までこの展示はやっているので、できれば父といっしょにまた来たい、そして7年前には話せなかったようなことを話してみたいと思う。

【オルセー美術館展】
 2006年9月29日(金)~2007年1月8日(月・祝)
 神戸市立博物館
 開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 ※金・土曜日及びルミナリエ期間中
 (12月8日~21日)は午後7時まで(入館は午後6時30分まで)
 休館日:12月18日までの毎週月曜日
     2006年12月25日(月)~2007年1月1日(月)
     ただし10月2日(月)・9日(月)は開館
     10月10日(火)休館
2006.09.30 | Art: 芸術  
シデロ・イホスシデロ・イホスシデロ・イホス:展示風景
 さて、今回訪れた兵庫県立美術館のコレクション展では小企画をやっている。「美術の中のかたち―手で見る造形」と題されたそれは、原田和男の手になる《ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣ(シデロ・イホス)―鉄の響―》と題された一連の作品群。
 ところでこのコレクション展に入る前、なにか空気をふるわせるような音がどこかから響いてくる、と思っていた。その発生源はこの展示室4で、さまざまな形をした「音の出るアート」があちこちに置かれている。手でふれられないもの(それらは自動的に音を出す)、手でふれて音を出すもの、形はさまざまだけれどどれもこれもユニークで、楽器とかオブジェ、という範疇を超えて、目や耳や皮膚感覚を通して「体感できる」アートとなっている。
 それはさておき、これ、楽しい!
 どういう作品からどういう音が鳴るか、はもちろんのこと、その場にいる閲覧者があちこちで鳴らす音が展示室のなかに、展示室をこえて響き、その一瞬しか生まれない音の妙を生み出していた。見るだけではなく、その場の空気すらもアートにしてしまうこの作品、すごい。
 子どもから大人まで、あちこちで夢中になっている人をたくさん見かけ、もちろんわたしもその中のひとりになってしまった。

【原田和男 《ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣ―鉄の響―》】
 2006年7月22日(土)~11月19日(日)
 兵庫県立美術館 常設展示室4
 開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
 ※特別展会期中の金曜日と土曜日は
  10:00~20:00(入館は19:30まで)
2006.09.30 | Art: 芸術  
 兵庫県立美術館は海沿いに建つ、見晴らしのいい場所にある。
 背後には六甲山を望め、モダンで港町らしい美術館だ。
 とくにこの季節はいい、風が通って気持ちよくて。
 そこで現在開催されているコレクション展は、展示室によって毛色の違う展開をみせています。

 展示室1:コレクション・ハイライト
  ~日本の近代洋画・戦後日本の前衛美術
 展示室2:戦後アメリカの版画
 展示室3:特集展示・新収蔵品紹介
 展示室4:小企画・美術の中のかたち―手で見る造形
  ~原田和夫《ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣ》
 展示室5:近・現代の彫刻
  ~国内外の彫刻を展示
 展示室6:兵庫県出身の洋画家
  ~小磯良平・金山平三

 展示室4の《ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣ(シデロ・イホス)》は別にあらためて書きます、それくらいすてきでした。
 それ以外で印象に強く残っているのは、新収蔵品の「薬莢」で、榎忠の作品です。はじめは奇妙なオブジェとしか思わず、近寄ってみるとすごいインパクトがある。ほか、新しい収蔵品に好みのものが多く、荒木高子の陶のオブジェ、藤原志保の「瞑想」―墨と和紙でできた、立体的な空間!―、など。
 展示室5、彫刻のスペースにある新宮晋の「雲」もおもしろい、ずっとながめていたいくらい。

【コレクション展 II】
 2006年7月22日(土)~11月19日(日)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
 ※特別展会期中の金曜日と土曜日は
  10:00~20:00(入館は19:30まで)
2006.09.30 | Art: 芸術  
アルベルト・ジャコメッティ展
 大きなポスターの中に、ほそい針金のような人のからだ。
 ジャコメッティの作品を最初に見かけたのは、この夏、実家に帰省しているあいだに友だちと神戸でカフェめぐりをしたときのこと。帰りの電車に乗るためにJR三ノ宮駅の改札口をくぐると、そこに大きなジャコメッティ展のポスターがあった。そのとき駅の構内は人がひしめき合っていたのに、ポスターが放つ雰囲気に目を奪われてしまったことを覚えている。
 夏の暑い日だった、吸血鬼が灰になる気持ちを味わえる程度に。
 見にいきたいとずっと思っていて、ようやく見にいけたのは、秋もいよいよ深まろうとしているこの季節で。
 ジャコメッティの作品はそれとわかる独特さをもっている。異様、ともいえる。最初はその異様さにぎょっとし、そして不思議とひきつけられるのだ。目が離せない、なぜこうなるのだろうという好奇心の混じった視線で彼を見つめてしまう。
 このジャコメッティ展では、彫刻家としてのジャコメッティのみならず、絵画や矢内原伊作との交流のあかしである書簡なども展示されている。また、ジャコメッティの作風の変遷を追ってゆくしくみになっている。
 そこが面白い。ジャコメッティがどんな人であったかは、わたしにははかり知れないけれども、とても純粋だ、という印象をうけた。「純粋」という言葉が適切かどうかには自信がないが、対象物(人間)に対してのひたむきで真面目な視線を感じるのだ。
 人間と、人間がいる空間へのジャコメッティの視線は、頑固なまでに「見えているもの」に忠実であろうとしている。「見えているもの」を「見えているままに」つくろうと試行錯誤し(おそらくそんなことは誰にもできないのだが)、失敗を繰り返して飽くことなく対象を見つめている。
 その視線は、対象への純粋な愛情すら感じさせて、たとえば矢内原との交流においても非常に密度の高い、友情以上のなにかを感じさせた(同性愛、ということではなく)。
 ああ、ジャコメッティを語ろうと思うには、言葉が足りない!人の名前が冠された作品ですら、わずかの違いはあるもののほとんど同じように見えるし、絵画でもそうで、なぜか描かれる人物の顔はほとんど同じに見える。それなのに、おもしろい。ジャコメッティが「完成されていない」からかもしれない。
 そうだ、兵庫県立美術館での展示のしかたで「おもしろい」と思ったのは、壁と壁のあいだをわざと1メートルから数10センチほど離しておき、そのすきまから向こうの部屋を覗けるようになっていること。そこから向こうを見てみると、ジャコメッティの細い細い作品を見ている来場者たちが、作品となぜかだぶって見えてくる。近くにある小さなジャコメッティの作品と、遠くの閲覧者のサイズが同じだ、とか。作品を見るとき、その周辺も見わたしてみると、すこしだけジャコメッティの視線を味わえるかもしれない。

【アルベルト・ジャコメッティ展】
 2006年8月8日(火)~10月1日(日)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
 ※特別展会期中の金曜日と土曜日は
  10:00~20:00(入館は19:30まで)
2006.09.30 | Art: 芸術  
アルフォンス・ミュシャ展
 中学生くらいのときにはもうミュシャの絵が好きで、それからもずっとミュシャの絵には惹かれつづけてきました。けれど、展示を見るのはこれがはじめて。
 実のところ昔のような熱意をもってミュシャの絵が好きだ、といえなくなってきています。美しく、エレガントな女性・植物・描線。小物もきらびやかで、ミュシャの描く女性のしなやかな指先、渦巻く髪はいかにも洗練された美でしょう。ところが昔ほどには熱を上げなくなってしまいましたし、じっさいこのミュシャ展に出かけてみても、昔好きだった絵にはさほど感動をおぼえませんでした。
 昔とは好みが変わってしまいましたが、それでもなおミュシャにはどこか惹かれるものがありました。ポスターという媒体がそうさせるのでしょうか、一瞬を切り取った静的な、瞬間の美には見入ってしまいます。
 様式美を追及し、細やかなディテールにいたるまで美しいミュシャの絵、それが作り上げられる過程が今回の展示での収穫でした。リトグラフによる完成作品よりもむしろ、その前の下書きやラフスケッチ、資料として描いた絵が面白いです。
 そういう綿密で緻密な前段階があってはじめて、あの絵が生まれるのだ、というところを見ることができたのが、一番よかったかも。

【アルフォンス・ミュシャ展】
 2006年9月1日(金)~10月1日(日)
 美術館「えき」KYOTO
 入場時間:午前10時~午後8時
 入館締切:閉館30分前/最終日午後5時閉館
 ※9月5日(火)のみ午前11時開館
2006.09.27 | Art: 芸術  
プライスコレクション-若沖と江戸絵画展
 「ダイナミック!」
 プライスコレクションの絵たちに向きあうと、最初から最後まで一貫しているのは、ダイナミックで、いきいきとした力強さ。
 日本画ではビゲローコレクションの肉筆浮世絵北斎と広重展で、江戸の風俗があざやかに描かれていたことがいまも記憶に新しいです。とくに北斎の躍動感には、どちらの展示でも見入ってしまいました。
 そんなわたしにとって、プライスコレクションはこれまで以上の感動があった、といっていいでしょう。もしかしたら北斎とおなじくらい、好き。
 展示されているのはタイトルにもある伊藤若冲に丸山応挙や長沢芦雪などがメジャーどころ、それから名前も知らないようなマイナーな人、無名の絵も多くあります。また題材も人間以外のもの、特に動植物が多いのがこのコレクションの特徴。
 この動物・植物たちが、すごくいい。
 その姿はリアルに息づいて、ユーモラスでキュート。
 「見たままのリアル、写真に近いリアル、正確なデッサン」ということになると、そこは西洋絵画に譲らなければいけなささそうです。けれど、日常に根ざしたリアルな迫力があって、見ていて飽きません。
 日常に根ざすリアルさ、というのは動物にかぎった話ではなく、たとえば三十六歌仙をひとつの画面の中にえがいた酒井抱一の絵(三十六歌仙図屏風)には、遠い平安の昔の人物たちが題材であるにもかかわらず妙にユーモラスで親近感を覚えました。
 それらの絵たちは様式美をとりいれつつ、画家それぞれの創意工夫やオリジナリティがあり、創造していこうという気概と魂のこもった迫力があります。
 彼らはほんとうに絵を描くことが好きだったのだろうな、そんな想像をし、そしてこの絵たちを買い集めてすばらしいコレクションをつくったジョー・プライス氏もまた、絵が好きだったのだろう、そう感じさせられました。プライス氏は「作者の名前は気にしない、絵を見る」というような主旨のことも言っていて、選ぶ絵がその言葉を裏打ちしているように思えました。
 また、特別にプライス邸の一室を再現した展示がすてきで、ここは百の言葉より一見に尽きる、と思います。
 残念だったのは作品解説の小冊子で、こういう絵だよと解説してくれているのはいいのですが、琳派とか狩野派などの言葉や画家に対する説明がなくてすこし不親切。プライス氏の信念にのっとれば、画家に関する説明を極力省いて絵を見せる、そういう展示なのはおかしくありません。でも、それなら作品解説の冊子もなかったほうがよかったかも、途中から解説は見なくなってしまいました。

【プライスコレクション-若沖と江戸絵画展】
 2006年9月23日(土・祝)~11月5日(日)
 京都国立近代美術館
 入場時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:月曜日 (ただし10/9は開館し、翌10/10は休館)
2006.09.27 | Art: 芸術  
Amazon.co.jp:夜の樹
 このあいだ、ふらりと県立図書館に足を運んだ。
 眼科の実習で瞳孔を開くための目薬を入れたあとのことで、目薬を入れた左目を通して見える世界だけが妙に白く、光に満ちていてまぶしい感じがしていて。
 ともかく、そういう日の話。
 15時すぎ、昼下がりの晴れた日で、秋になろうとしている(左目だけ白い)世界のなか図書館までの道を歩いた。
 そして唐突にカポーティを読もう、という気になった。
 その気分のまま、カポーティの作品がいま手元に5冊ある。
 たぶんそれは映画「カポーティ」がこの秋に上映されるとつい最近知ったせいで、それなのに「そういえばまだカポーティを読んだことがない」と気づいたせい。
 カポーティの名前を知らない人でも、オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の名前くらいは知っているかもしれない。その原作が、トルーマン・カポーティという人だ。こう書いておいてなんだけど、わたしもこの程度しか知らないと言ったほうが正確かも。
 借りてきたうちの1冊のなかから最初に読むために選んだのがこの『夜の樹』で、読み始めたとたん、じつは失敗したかと思った。5冊も借りてきたことを、後悔する寸前くらいまでは行った。
 訳が合わない。
 滝口直太郎の訳で読んでいると、イライラしてくるんである。理由はいたってシンプルで、「いらん説明が多い」ということにつきる。わたしはこれがどうも合わなかったようで、文中にいちいち訳注をはさむやり方には閉口してしまった。
 というわけで10の短編からなる『夜の樹』の、最初の1編である『夢を売る女』ではイライラさせられっぱなし。
 ところが、訳注を気にしないで読みすすめていけるくらいに慣れてくると、俄然おもしろくなってくる。訳がどうも苦手だ、ということを除けば話はおもしろいと気づいて、のめりこむように読みきった。
 『クリスマスの思い出』と『感謝祭の訪問客』をのぞけば、全体的にふしぎな話が多い。最初の『夢を売る女』もそうだし、『ミリアム』もそう。最初はわりと日常的なのだけれど、読み進めていくうちに、それが現実なのか夢なのか、境界線がぼやけてあいまいになってとけてしまうのだ。あまりにも自然すぎて、読んでいるうちはさらさらと読めてしまうのだけれど、気づくと夢のなかにいる。起きていると思っているのに知らないうちに眠りこけていて、いつのまにか夢の中、そして戻ってこれなくなっている。よく講義だとか授業だとかを聞いているときに、起きていると思っていたら寝ていて講義の夢を見ていたことがあるのだけれど、そういう感じだ。
 それゆえに、この短編集を読み終わったときに残っていたのは、ふわふわと漂うような心地。着地点がなくて。
 きっと、わかっていないことも多い。わかるとも思えない。カポーティの言葉の魔力に酔わされて、いい気持ちになっている、そんな気がした。
2006.09.25 | Bookshelf: 本棚  
ハチミツとクローバーAmazon.co.jp:ハチミツとクローバー(10)

 9月8日の金曜日に、漫画「ハチミツとクローバー」のさいごの巻が発売されました。ずっと楽しみに読んでいた漫画で、そのとき外科の実習で疲れ果てていたのに、待ちきれなくて買いに走ってしまいました。
 発売日に漫画を買う、という行動がもうレアなことですが、自分にとってはそれだけの価値があります。
 きっとはぐちゃんはそうするだろうなと思っていたから、ある意味で予想と大幅に違わない終わり方だったけれど、それでもすごく胸にぐっときて、ああやっぱりこれは映画も見にいこう、とそのとき思ったら、見たい見たいと思いつつ不精していたせいでタイミングがあわず近畿一円では23日からの梅田ガーデンシネマでのレイトショーしかやっていない、という状況。
 それを和歌山からの帰り、大阪まで戻ったついでに見にいきました。
 まず叫ばせてください、
「真山、ストーカーすぎ!変態すぎ!」
 登場人物のだれもが青春で、青くて、痛くて、もう、映画を見ている間じゅう、のたうち回りたい気持ち。痛い、痛いよ、恥ずかしいよ!たぶんそこが映画館じゃなくて家だったら、本気でギャーとかいいながらゴロゴロ転げまわっていたに違いありません。こういう、一直線なまわりの見えてなさ、身に覚えがありすぎる……。そういうこともかぶって、ぐわあ、とへんな声が出そうになりました。
 映画のストーリーや登場人物の性格には、原作とはすこしの違いがあります。でも、そんなことはすごく小さなことで、原作のもつ根本的な性質はたぶん映画でも変わっていない、と感じました。そこのところの違いが許せないタイプの人は、見ないほうがいいかも。でもビジュアル的には、原作のキャラクタが実際にいたらこんな感じだろうと思います。
 最初のぎこちなさから、いつの間にかいることが自然になって、恋する人特有のすこしのぎこちなさやすれ違いを含みながら物語が進んでいくようすは、わたしにとってはすごく好ましいものに思えました。音楽がまたぐっとくるし。この流れかたが苦手とか、なんだこいつら青くてみんな馬鹿じゃん、みたいに思う人には、つまらないだろうとも思いますが、わたしは胸を張って「好き!」といいたい。
 この映画の5人と同世代、場の空気の読めてなさもアレで、まだまだ青春でございます、身に迫ってくるものがありました。青春の甘酸っぱさとか、やっちゃった感がとてもうまく出ていて。
 あとは、はぐちゃんの服がひたすらかわいかった。
 こまかなディテールとか、ずっと見つめていたい居心地の良さで、そのへんのこだわりも好き。
2006.09.23 | Movie: 映画  
ホスピタル・アートってなあ~に想い玉
 前からチラシを目にして、ぐっと興味をひかれていました。
 「ホスピタル・アート」というのは、病院の壁などに絵を描くなどする試みのことで、そう聞いてぐぐっと。そこまで真剣に、ではありませんが、絵画療法や音楽療法にも興味のある身としては、どんなものだろうと見にいきたくなったわけです。
 結論からいうと、残念ながら「見るだけ」のスタンスではあまり見るものはなかったかな、というところでした。得るものはありましたが、見どころというほどの見どころがないというのが正直な感想です。ホスピタル・アートについての解説トークはあったようなのですが、それを聞きのがしてしまって残念。
 展示スペースにあったのは、「想い玉」と題されたまるい玉の連鎖で、それぞれの想いがこめられた玉を見るのはなかなか楽しいものがありました。おそらく、絵画療法もそうだけど、見るということよりは作る、想いをこめるという作業によってなにかをあらわすことは、その人のエネルギーとなれる気がします。
 さらにその想いの力が連鎖して、つながっていく、人と人とのかかわりを考えると、せまい空間だけれどすごい力があると、想い玉の展示スペースでは感じました。
 ホスピタル・アートについての説明プレートなどがあれば、もっとよかったかも。そこのところがいまだに気になっています。もし自分が病院を開業するなら、色や絵や音をふくめた空間デザインから気を使いたいなと思っているので、ほんとうにそれがあればよかった。
 ホスピタル・アートを展開している病院も、あればぜひ知りたいし見にいってみたいな。

【ホスピタル・アートってなあ~に】
 2006年9月13日(水)~9月24日(日)
 和歌の浦アート・キューブ
 入場時間:10時~20時
2006.09.23 | Art: 芸術  
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