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Amazon.co.jp:カメレオンのための音楽
 「カポーティを読もう・キャンペーン」の4冊めに、『遠い声 遠い部屋』も『冷血』もすっ飛ばして、いきなり、この『カメレオンのための音楽』を選んだ。とくに深い理由はなかったけれど、読みはじめてすぐにこれが晩年の作品であることに気づき、あとで「カポーティ最後の短篇集」なのだと知った。
 はじめに、「序」としてカポーティ自身が自分の作品たちへの批評と、『カメレオンのための音楽』でなした試みについて述べている。それによれば、ここに収められている短編たちは「ありふれた人との普段の会話を、地味にまた簡潔に再構成してみせた」ということであり、そのやり方で書いたノンフィクション中編小説が『手彫りの柩』だそうだ。すなわち、現実に起こったできごとを紙の上に再構成した、その集大成がこの作品なのである。
 ところが(ここが『カメレオンのための音楽』の面白いところなのだが)、日常生活や過去の記憶を文章におこしているにもかかわらず、カポーティ独自のファンタスティックさがいかんなく発揮されている。現実なのか虚構なのかわからない、ふしぎな魅力。現実なのか虚構なのかはもはや小さなことで、見るものをとらえる力を持った画家のスケッチと同じような筆づかいが、『カメレオンのための音楽』に収められた短編たちからは感じられるのだ。「文章のスケッチ」とでもいおうか。
 唯一の中編、『手彫りの柩』はミステリーのような様相も呈し(ただし現実はミステリーのようにオチがついているわけではないので、ミステリーの謎解きは期待してはいけない)、ぐいぐいと引き込まれてしまった。
 現実というものの、あやうい一瞬をとらえて切り抜いた、絵画を見ているような、そんな短篇集。

 ところでこの作品、訳が野坂昭如である。野坂昭如の名前を知らなくとも、『火垂るの墓』を知っている人は多いだろう。宮崎駿がアニメで映画にもしたこの作品の原作者が野坂昭如で、彼はこの作品で直木賞を受賞している(『火垂るの墓・アメリカひじき』)。
 辞書と首っ引きで訳したらしいが、それににしてはさすがに本職作家、なかなか引き込まれる訳になっている。誤訳の有無は不明だけれど、読みやすさでいえば滝口直太郎の訳よりは読みやすい。
 そういえば彼はあとがきで、「カポーティの筆づかいは、きわめて明快」と書いていた。原書でも、いつか読んでみたい。
 なお、『ジョーンズ氏』『窓辺のランプ』『もてなし』『くらくらして(くららキララ)』は『カポーティ短篇集』にも収録されているが、こちらのほうがシンプルで明快な訳かもしれない(訳:河野一郎)。
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2006.10.23 | Bookshelf: 本棚  
 つとめて、心をまるくしようと思っていても、どうしようもなくとがってしまうときがある。
 そんなときには『きょうの猫村さん』のページをめくるのだ。
 猫村さんは、おせっかいやきで欠点もたくさんある家政婦さん。それになんといっても、猫なんである。でも、猫村さんは夢を持っていて、その夢をあきらめないで心に持ち続けている。
 そんな猫村さんの姿はときどき自分のようで、なんでもないことがすごく心に沁みてくるのだ。
 ちいさな気遣いとかやり方でうまくいったりいかなかったり、人生(猫だけど)の妙がそこには描かれていて、いい感じに気の抜けたゆるい絵の効果もあり、心のとげが引っ込んでくるのを感じながら「今日という一日を過ごすことができて、ありがたいことだ」と思うのである。
Amazon.co.jp:きょうの猫村さん(1)Amazon.co.jp:きょうの猫村さん(2)
 きょうの猫村さん on Web:猫村.jp
2006.10.23 | Bookshelf: 本棚  
興福寺:国宝特別公開北円堂三重塔"

 おりしも「応挙と芦雪」をやっている奈良県立美術館のすぐ向かいでは、興福寺が国宝の特別公開をやっていた。
 国宝の釈迦如来像、弥勒如来坐像、四天王像などが開帳されており、観光シーズンということで人もそれなりに多かったけれども、うすぐらいお堂のなかの黄金と木の仏像はそこだけ光をはなっているかのようにあたたかく、じいっと見ていると心が洗われるようでも、染み入ってくるようでもあった。
 古く歴史を積み重ねてきたこれらの仏像は、欠けや剥げがあちこちに見られ、それでいてなお美しい。
 寺社仏閣をおとずれることの魅力のひとつは、俗世とはなれたその空気を味わえることだと思う。
 そういう意味では興福寺は観光地化されすぎていて、それがすこし興ざめではあった。それでも仏像の美しかったのが、一生に一度くらい見ることができてよかったと思わせてくれたのだろう。

【興福寺:国宝特別公開2006】
 10月8日(日)~11月13日(土)
 奈良・興福寺境内(北円堂 仮金堂 三重塔初層 国宝館)
 拝観時間:午前9時から午後5時
 ※文化財保護のため、大雨などの場合は公開を中止することがあります。
2006.10.22 | Art: 芸術  
応挙と芦雪
 せんだって、京都の国立近代美術館で開催されていた(そして今も開催中の)「プライスコレクション-若冲と江戸絵画展」を見てきたときから、長沢芦雪の描くものがどうも気になっていた。
 「応挙と芦雪」のことはプライスコレクションを見る前から知っていたけれど、じっさいにダイナミックでいてどこか愛嬌のある芦雪の絵を見てからというもの、この展示会に行く機会を虎視眈々と狙っていたのだった。
 その機会がおとずれ、澄んだ青空のもとJRと近鉄をのりついで、一路、奈良へ。日中は汗ばむほどの陽気にめぐまれ、駅から降り立ったときには緑の光がひろがり、まぶしい気持ち。奈良県立美術館は、奈良公園も近く緑に囲まれた美しい場所にある。
 応挙と芦雪、と題している通り、長沢芦雪とその師である円山応挙の二人展である。ふたりの作品を「人物」「花鳥」「山水」とテーマごとに対比して展示し、しかも前期(10/7~11/5)と後期(11/7~12/3)で相当の展示入れ替えがある。これは奈良県立美術館の規模と構造上の問題だと思うのだけれど、いちどきに見られないのはすごく残念。さらに、こぢんまりしたこの美術館は展示スペースのひとつひとつも小さく、作品を見るときに連続性が断ち切られてしまうような印象があった。それでも、芦雪や、たとえば伊藤若冲が好きだという人なら、一見の価値はあるだろう。
 応挙といわれてすぐに思い出すのは、いわゆる「幽霊図」で、「足のない幽霊を描いたのは(肉筆画では)応挙が最初」ともいわれている(諸説あるらしい)。しかし、今回は応挙の幽霊図は出ていない。芦雪の幽霊図は出ていて、こちらは世間一般に知られた優しげな応挙の幽霊図(「お雪の幻」)とは趣を異にした、おそろしげな幽霊だった。
 ともかくそういう風に応挙は「幽霊図」が有名だけれども、応挙は「写生」ということをとても重要視した画家である。作品を見てみれば、あわい色合いと筆遣いが親しみやすく、丁寧な印象をうける作品が多い。
 反して芦雪は、丁寧というよりはダイナミック、画面いっぱいにひろがるエネルギーを感じる作風である。
 けれども二人の作品から共通して感じられるのは、描く対象を見る画家の目のやさしさや厳しさといったもので、前者はとくに動物を描いたものから伝わってくる。二人とも、牛や子犬を題材にして絵を描いていて、これがまた愛らしくて思わずほおがゆるんでしまった。題材を見る画家のまなざしの真摯さがどちらの絵からも感じられ、それが二人の絵の息づかいとなっているのだろう。影響しあいながらそれぞれの絵を作り上げている、というふうにも思えた。
 それにしても、やっぱり芦雪はいい。
 また応挙の新たな魅力に引き込まれ、後期を見にいくべきかどうしようか、迷っているところだ。
 余談だけれど応挙の幽霊関連で、昔見た「居酒屋ゆうれい」という映画が今とても見たくなっている。

【応挙と芦雪】
 2006年10月7日(土)~12月3日(日)
 奈良県立美術館
 開館時間:午前9時~午後5時 金・土曜日は午後9時まで開館(入館は閉館の30分前まで)
 休館日:毎週月曜日(ただし10月9日(祝)は開館、10日(火)は休館)
2006.10.22 | Art: 芸術  
Amazon.co.jp:ティファニーで朝食を
 「カポーティを読もう・キャンペーン」第3弾は、かのオードリー・ヘップバーンが主役のホリーを演じたことで有名な映画の原作『ティファニーで朝食を』。
 じつは、映画の「ティファニーで朝食を」をわたしは見たことがない。
 何度かレンタルで借りようとしたことはあったけれども、なぜかそのたびに借りるのをやめてしまっていた。DVDのうらにある解説を見るかぎりでは、どうも「ハッピーエンドのラブストーリー」のようだったし、たぶんそれがいまひとつ借りようという決心のつかなかった理由だ。
 実のところ『ティファニーで朝食を』を読むにあたって、これまで読んだ『夜の樹』『カポーティ短篇集』からは、カポーティがそういった「ふつうのラブストーリー」を書くなんて想像がつかなかった。
 だからいったいどのようなものだろうと恐る恐る読んでみて、納得。
 これは、たぶん映画とは違う作品だ。映画のほうは未見ながらも、そのはずだという確信がある。まず、結末が違う(と思われる)。だが、これ以上このことについて言及するのは控えよう。
 映画はラブストーリーを楽しむ明るいもののようだけれど、原作のほうは戦争中だという時代背景のせいだろうか、灰色みがかった色調の物語である。その中にひとすじの光明としての女性:ホリー・ゴライトリーが豊かな色彩をもって描かれ、ホリーの持つ名刺「ホリー・ゴライトリー・トラヴェリング(traveling:旅行中)」そのままにひとところにとどまらない自由な変化を願う気持ちがこめられた作品。
 なお、この『ティファニーで朝食を』には、表題作のほかに『わが家は花ざかり』『ダイヤのギター』『クリスマスの思い出』が収められ、最後の『クリスマスの思い出』は『夜の樹』にも収録されている。これらの3編もすてきなもので、とくに『クリスマスの思い出』はあらためて読んでみると、貧しい生活のなかにも夢がぎゅっと詰まっていて、あたたかさ(そして一抹の寂しさ)が心にしみわたってきた。豊かさについて教えられたような心もちがし、かみしめるように味わって読みたくなった。
 滝口直太郎の訳が古いせいか(初版は1960年!)、残念ながら時々ひっかかるところがあるものの、慣れてくればそれほど気にはならない。現代ならもっと洗練された訳をする人がいそうだ、という気がするし、この訳で読むのは本を読み慣れない人には少々つらいかも。
2006.10.20 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:カポーティ短篇集
 「カポーティを読もう・キャンペーン」続行中。
 このあいだ図書館で借りてきた5冊のうち、『夜の樹』の次に選んだのがこの『カポーティ短篇集』だった。
 河野一郎が選び、訳した12編が薄い文庫本の中に濃縮されている。『夜の樹』を読む前にこちらを読んだほうが、カポーティへの導入としては良かったかもしれない。
 12編のさいしょにあたる『楽園への小道』が、そのユーモラスさのおかげで、どこか夢のようなカポーティの世界に入っていくのにうってつけだし、その次のヨーロッパ旅行の5編も親しみやすくてすんなり入っていけるのだ。
 かと思えば『夜の樹』にも収められていた『無頭の鷹』のような狂気と正気、夢と現実が錯綜するシュールレアリスム的な作品もあるし、作者の子ども時代を下敷きにした『くららキララ』のような作品もある。
 さまざまなカポーティの作品に触れられ、かつ訳がシンプルなので入り込みやすい1冊となっていた。
 ただ、『無頭の鷹』に関してだけは、『夜の樹』に収められていた滝口直太郎の訳のほうに軍配をあげたい。
2006.10.14 | Bookshelf: 本棚  
表面への意思
 雨の京都市美術館、ルーヴルと同時開催中のコレクション展「表面への意思」もついでに見てきた。ルーヴルのタイトルがすごすぎるのが悪かったのだろう、最終日だというのにがらがらに空いていて、ルーヴルの威力を目の当たりにした気分である。
 こちらにもなかなか「おっ」と思うものがあり、とくにはじめとおわりにかけてが良かった。
 ただ、「絵の表面」というアプローチはすごくよかったのだけれど、肉薄した表面への感触が感じられにくい構成だったのがとても残念。絵画保存の観点から「触れない」のは当たり前のことかもしれないが、アプローチとして表面への意思を感じさせるような構成にするなら、触覚からも意思の伝わるような構成であってほしかったなと思う。
 とくにガラスで仕切るのがまずい、あれは意思を伝えようとするアプローチに反して、作品とのあいだに隔たりを感じてしまってどうもうまく入り込めなかった。
 純粋に作品としてすばらしいと思うものがいくつかあり、それだけに(視覚から意思を伝えようとするなら)展示の仕方はもうちょっとどうにかならんかったのかな、と思うしだいである。
 しかしコレクション展、やはりあなどれない。
 麻田鷹司の「雲烟那智」など、ぞくっとさせられた。

【表面への意思】
 2006年7月29日(土)~10月1日(日)
 京都市美術館
 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)
2006.10.01 | Art: 芸術  
ルーヴル美術館展
 10月は、怪しい空模様で幕を開けた。
 金曜日に帰省した実家から下宿まで直行で戻るつもりにしていたところ、前日の夜にお友達からお誘いがあって、急きょ京都市美術館のルーヴル美術館展を見よう、ということに決まった。
 フランスはパリ、セーヌ川をはさんでオルセー美術館の対岸にあるのがルーヴル美術館である。日本にいながらにしてオルセーとルーヴルを(一部ではあるが)連日で見られるなんて、おもしろいかも。
 ぐずっていた空が電車に乗っている間に泣き出しはじめ、もよりの地下鉄東西線・東山駅に降り立ったときには、かなりの雨。まあ大丈夫だろうと傘を持たずに出たわたしに差し出された、お友達の山吹色をした傘があたたかかった。
 雨だからあまり人もいないだろうと思いきや入口には人だかりがしていて、これはもうすし詰め状態だと覚悟したところ、中のほうは混んでいるもののそこまでひどくはなく。
 ルーヴルは去年の夏から秋にかけても同じ京都市美術館で展示があり、そのときは絵画中心でアングルの「泉」や「トルコ風呂」などが来日していて見にいったことを覚えている。
 今回は表題にもあるとおり彫刻を中心とした古代ギリシア芸術がきていて、けれど実は絵画ほどその内容に期待はしていなかった。事実、そこまでの強いインパクトをもった作品は少なかったのだともいえる。「サモトラケのニケ」のような、美術どころか世界史の教科書にも載っているような有名作品はやはりルーヴルに残されたままで、初公開の作品が多いとはいえ目だってインパクトのあるものは少ない。そういう意味では最後の部屋(第4章:神々と宗教)が、いちばんインパクトが強かった。また、人間の肉体のもつ美しさを感じる作品が多い。
 けれども、芸術的にその作品から得られる衝撃とはまた別の楽しみ方がある。とくに、世界史を学んだ人には親しみやすいかもしれない。古代ギリシア、アテネ、アレクサンドロス大王、アッピア街道……ギリシアの歴史の一部を、生で見ることができるのがすてきだ。また、神話の神々の彫刻も多く、子どものころ星座のなりたちと神話に心を躍らせたときのことがよみがえってくる。ゼウス、ヘラ、アフロディテ、アポロン。みずがめ座生まれとしては、ガニュメデス(みずがめ座の神話の由来となった美少年)の像に妙な親近感を抱いたりもして。
 なによりすごいのは、欠けている部分があったり補修されている部分があったりするものの、紀元前に作られたものが、ほとんどそのままの状態で展示されている、ということだ。ブラボー!よく見てみると、ツギをあてて補修している箇所がいろんな作品に見うけられ、何千年もの時代をこえてうけつがれた芸術を愛する心に感動するばかりだ。
 まさにロマン!紀元前のギリシア芸術を見ている、その不思議を体で感じる。

【ルーヴル美術館展 古代ギリシア芸術・神々の遺産】
 2006年9月5日(火)~11月5日(日)
 京都市美術館
 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)
2006.10.01 | Art: 芸術  
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