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Amazon.co.jp:タイタンの妖女
 近未来が舞台のSF。
でも、SFという舞台装置を念入りにつくったうえで、人間と世界に関するなにかを伝えようとしているように見えた。それは、フィリップ.K.ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』でも思ったことなのだけれど。
 たとえば「クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム」だとか、地球以外の惑星に住めるだとか、宇宙人の存在だとか、そんな小道具があちこちにちりばめられている。その発想のスケールの大きさにもびっくりするけれども、もっとすごいのはあちこちにちりばめられたスケールの大きな小道具や伏線を、ひとつの物語としてまとめきっているところだ。
 ああ、そうなるのか。
 読んだあと、少し放心してしまった。じつをいえば、読後感はあまり良くない。でも、ずしんとくるものがある。かといって重たく苦しいだけの物語でもなくて、随所にブラックな笑いがひそんでいたりする。
 すごいものを読んだ、そういう感じ。

 よく見ているブログ「幻想の断片」で紹介されていたのと(こちら)、「yom yom vol.1」で爆笑問題の太田 光が取り上げていたのとで、本屋で見かけて買ってしまった。
 「yom yom vol.1」で太田 光が書いていたとおり、たしかに「爆笑問題 太田 光氏 絶賛!」とか書いた黄色いオビがかかっている。うん、オビはちょっとセンスがない。
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2007.05.26 | Bookshelf: 本棚  
新潮社:yom yom vol.2 友だちと外でごはんを食べているときに、「yom yom vol.2」を彼女に見せた。
 (それが4月7日の、大阪で開かれた研修指定病院合同セミナーの帰り、というのが悲しいけど)。
 さすが9年にわたって趣味を共有してきた彼女、ばしっと、ひしっと、「yom yom vol.2」に飛びついてくれたんである。
 性格は180度ちがうのに、このあたりで波長が合うのがおもしろい。
 で、彼女。自分で vol.2 のみならず vol.1 までも探して買ってしまった。
 ゴールデンウィークを利用してふたりでお茶したとき、「vol.1 も良かった」とのお言葉。ついフラフラと、またしても表紙でお買い上げ。中身をいっさい読まずに買ってしまう、ふしぎな雑誌。パンダの魔力かも?
 vol.1 とは対照的な赤い表紙で、並べて置いておくとほんとにかわいい。雑誌はたいてい廃品回収に出すか、捨てるかして手元には残しておかないけれど、yom yom はずっと持っていたいかわいさだ。
 中身のほうも満足で、毎日少しずつ読むのがたまらない。
 読んだことのなかった作家の文章に触れることで、ほかの本も読んでみたいと思わせてくれる。
 こういうタイプの、少しずつ読める雑誌(しかもカワイイ)って、本を読まない人にも手にとりやすいと思うけど、どうだろう?子どものころから絵本を手はじめに、本が身近な存在だったわたしにはわからない。
 まんまと戦略に乗った形で、カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』を買ってしまった。ハヤカワ文庫だけど。新潮社じゃないけど。
2007.05.26 | Bookshelf: 本棚  
Amazon.co.jp:こゝろ (角川書店)Amazon.co.jp:こころ (新潮文庫)
 高校生のとき、現代国語の時間に文庫本1冊を使った授業を何度か受けた。取り上げられたのは森鴎外の『舞姫』、小林秀雄の『考えるヒント』、そして夏目漱石の『こゝろ』。
 自分からすすんで読んだわけではない、というのも手伝ってか、そのどれもがあまり記憶に残っていなかったりする。覚えているのは、くだらなくてどうでもいいことばっかり。
 たとえば『舞姫』で、赤ん坊のオムツのことを「襁褓(むつき)」と言っていただとか、オムツは「むつき」に接頭辞「お」がついて語尾の「き」が消えたものだとか。
 本当にどうでもいい。

 で、『こゝろ』の話をしよう。
 そんなわけで、わたしの『こゝろ』に関する記憶は、「どろどろして暗くてどうしようもない話」というところで止まっていた。作者の夏目漱石についても、「明治の文豪」以上の印象は持ちようがなかったのである。
 けれども、このあいだ『文鳥・夢十夜』を読んで、そのおもしろさに目が見開かれた。いままで食わず嫌いで敬遠してきた漱石を知りたい、読んでみたいという気持ちになり、実家の本棚から『こゝろ』を手に取ってページをめくりはじめた。
 ――おもしろい。
 漱石の言葉は『文鳥・夢十夜』で感じたように、平易でわかりやすく、明快である。軽やかにさえ思え、するすると読み進められてしまう。
 でも、やっぱり「どろどろして暗くてどうしようもない話」なんだな、これが。
 それは、漱石が書こうとしたものがそういうものだったからだ、とわたしは解釈した。人間の奥深くにひそむ、どろどろした何か。矛盾に満ち、自分を保つために自分すらあざむいてしまう何か。
 その何かを真正面から見すえるのは、正直言って自殺行為にも等しい。「自分」を保つための、心の奥深くにある「自己愛」とでもいうようなものを見ると、矛盾ばかりでどうしようもなくて、潔癖な人はその醜さに耐えられないかもしれない。
 しかし、その醜いものがあるために、自分が自分として成立しているのではないか。それを醜いとして否定し続けると、「自分」が保てなくなる。「自分」が保てず、自分を自分で破壊するというところまで行き着いてしまうのではないか。
 想像だから、わからない。
 やっぱり「どうしようもない話」で済ませてしまった。
 だいいち、恋愛力の弱いわたしには、ヘビーすぎる。
 こういう状況に陥ったら、もうさっさと「三十六計逃げるが勝ち」とばかりに、脱兎のごとく戦線離脱するのが目に見えているので、まるっきり実感のわかない話ではある。
 (それもまた、自分を保つための何か、だが)。
 おもしろいんだけど、また1年後には「どうしようもない話」ということしか覚えていないだろうなあ。深遠をのぞくだけの胆力も、思考力も、わたしには欠けていると言わざるをえない。正直、見たくない世界だ。

 『文鳥・夢十夜』を読み、『こゝろ』を読み終えたいま、漱石には妙な親近感を感じる。とても明治の人とは思えない。
 文豪をつかまえて言うことではないけれど、でも漱石とは友だちになれない気がする。おたがい、距離をおいて適度に付き合っているほうが気楽でいい、というような。
 この人とサシで話すと、乗るときは乗るけれども、反発するととことんまで暗くなりそうだ。
 どうでもいい話からはじまって、どうでもいい話で終わった。
2007.05.04 | Bookshelf: 本棚  
2007年度 コレクション展 I (兵庫県立美術館)
 兵庫県立美術館では、開館5周年記念として「特集展示:ロダン以後―彫刻大特集」と銘打ったコレクション展が開かれている。
 彫刻特集のほか、「現代の美術」「版画と写真」「近代の美術」のコーナがあり、おなじみ「小磯良平記念室」「金山平三記念室」も健在だ。
 コレクション展は、もう2度くらい見ているから「あ、また会ったね」という作品もある。新宮 晋の「雲」は、見るたびに心地よい気分につつまれ、なんだかよく晴れた日に雲をながめているような感じがするのだ。ぼうっと、ながめているだけで、なんともいえずシアワセになれる。すごくいい。
 「はじめて会ったよ」という作品もあり、なかでもツボに入ったのは吉村益信の「豚・pig lib;」という作品だった。見た瞬間、目がくぎ付け。おもしろい!どういうふうにおもしろいのかは見てのお楽しみ。
 コンスタンチン・ブランクーシの「新生」は、友だちとふたりしてながめて「なんだろね?」と頭を悩ませ、解説の紙を見てもう一度見て「ああ!」と腑に落ちるおもしろさがあった。
 たくさんの作品があるので、全部見るのには2時間くらいかかってしまったけれど。

 兵庫県立美術館のすてきなところは、一部の作品について、解説の紙を置いてくれているところ。それも、かなり詳しく書いてあるので、ひととおり先入観をもたずにながめてからもう一度読むと、楽しい。
 子どもむけのプリントもあり、あまりにもいい感じだったのでもらってきてしまった。「作品を楽しんで見よう」というコンセプトが感じられ、見ているだけでわくわくする。
 童心に返って、「なんだろう?」と考えながら見ると、新しい世界が見えてくるかもしれない。

【2007年度 コレクション展 I】
 2007年3月17日(土)~6月24日(日)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10時~18時/入場は17時30分まで
      特別展開催中の金・土曜日は夜間開館
      (10時~20時/入場は19時30分まで)
 休館日:月曜日(ただし4月30日(月・祝)は開館、翌5月1日(火)休館)
2007.05.02 | Art: 芸術  
ロダン 創造の秘密
 ロダンを知らなくても、「考える人」は多くの人が知っているだろう。台座に腰かけ、ひたいに手をやる独特のポーズをとったこの彫刻「考える人」はロダンの代表作であり、彼自身の墓の上にも安置されている。
 わたしも、「考える人」以外の作品はほとんど見たことがない。しかし、あちこちの美術館で何度か出会い、荒削りのようにも、繊細なようにも見える彼の作品には心ひかれるものを感じていた。
 そんなロダンの作品が一堂に会したのが、今回の「ロダン 創造の秘密」展である。
 「これは見たい!」と、趣味を同じくする友人と一緒に足を運んだ。

 ところが、見れば見るほど謎ばかりが深まる。
 ロダン、彼は何を見、何を考えていたのだろう。
 「白と黒の新しい世界」と副題にもあるように、展示物は「白」の石膏や大理石と、「黒」のブロンズ――白と黒の2色を中心にして展開される。
 けれども、よく見てみれば。
 ブロンズ(黒)にあたる光の部分は白く光り、大理石(白)も黒い陰をつくる。白と黒、対極にあるもののように見えるけれども、それらはグラデーションを描いているのだ。
 同じようなことが、作品の持つ性格にもいえると思った。
 たとえば「眠り」という作品は、同じ型で大理石と石膏のどちらもでつくられている。石膏で作られた「眠り」が緻密ではっきりとした輪郭を持っているのに対し、大理石で作られた「眠り」は輪郭があいまいでぼんやりとはかなげな印象をまとっている。
 緻密で繊細な像があるかと思えば、大胆で荒削りな像もある。
 執拗なまでに試作を繰り返し、ついに完成しなかった作品もある。粘土を型として製作するという性質上、同じ作品がいくつもある。作品と作品を組み合わせて、新たな作品を作り上げるかと思えば、身体のある部分だけの作品もある。
 ロダンの作品をひとつひとつ追っていくと、彼自身のことを思わずにはいられない。頭部を彫りだした時点で、あえて完成とした「ラ・パンセ」(思索)。冒頭の「考える人」。
 ロダンの作品世界を見ると、まるで彼の思索のあとを追うように見え、しかもその広さに感嘆するばかりだ。彫っても彫っても、彫りだせないような気がしてくる。

 フランス・国立ロダン美術館の好意で、できる限りケースや柵に覆われない状態で作品を見ることができる。作品の光沢やマットな状態もガラスごしにではなく間近で見ることができ、思わず触りたくなってしまった。もちろん触ってはだめで、行かれるときはお気をつけて。
 金曜日、土曜日の18時以降に行くと、有名な洋菓子店「アンテノール」の、白と黒をイメージしたクッキーをプレゼントしてくれるそう。いいなあ。

【ロダン 創造の秘密 ―白と黒の新しい世界―】
 2007年4月3日(火)~2007年5月13日(日)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10時~18時(金・土曜日は~20時)/入場は閉館30分前まで
 休館日:月曜日(ただし4月30日(月・祝)は開館、翌5月1日(火)休館)
2007.05.02 | Art: 芸術  
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