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Amazon.co.jp:第四間氷期
 『砂の女』をだいぶ昔に読んだとき、安部公房のことを「暗くて気のめいるへんな話を書く人」というふうに感じたことを覚えている。中学生か高校生くらいで、蟻地獄の中に落ちた蟻の気分なんて知らないよ、という頃だったから無理もない。
 その安部公房の書いたものを、『第四間氷期』という意味ありげな題名に惹かれて、ふと本屋で手にとってページをめくってみた。すると、
死にたえた、5000メートルの深海で、退化した獣毛のようにけばだち、穴だらけになった厚い泥の平原が、とつぜんめくれあがった。
なんて、いかにも面白そうではないか。
 じっさい、これが面白い。
 けれども、読み進めるうちに疑問がふくれあがっていった。
 未来とは何か。
 『第四間氷期』では、未来があるひとつの形で提示される。
 そして、その未来を肯定的にとらえるものたちは、「その未来がどんなものであれ」受け入れているように思える。それが主流・メインストリームとなって流れを作ってゆくわけだけれど、その過程で未来に耐えられないものたちは主流にかき消されてしまうのだ。
 そのことに、わたしは違和感を覚えた。
 未来が現在にとって肯定的なものであるか否定的なものであるか、という問いを、作者はこの作品を通して投げかけているけれども、そういうものなのだろうか?天才・安部公房に対して失礼なことかもしれないけれど、わたしにはどうも、その「問い」自体がナンセンスのように感じられるのだ。
 未来は、単なる未来であり、肯定も否定もこえたところにある。
 現在も、過去も、同じだろう。
 ただ、それに対して肯定や否定の意味づけをするのは、かならず違う時代の人間であり、未来を「見る」という機械がなければ未来に対して本来は肯定も否定もされ得ない。また、現在が未来からみてどのような評価をされるかは、わたしたちには知るよしもない。ひとつの国の、現在のひとつの事柄ですら肯定と否定の両方の見地があるわけで、未来からみて現在が否定されたところで驚くことはなにもない。
 歴史とはつねに勝者が「作り上げてきた」ものであるし、現在の人が過去を断罪するのも、変だなと普段からわたしは思っているからだろうか。自分の未熟さもあって、いまいちこの作品の衝撃やすごさが伝わってこなかった。

 ひとつ考えられることは、この『第四間氷期』が未来が安穏とした日常の連続性の範疇の中にとどまっている肯定的なもので、未来からみてまた肯定されると妄信している人々への警鐘だった、ということである。
 このままの日常が未来永劫続くと思っている人にとって、『第四間氷期』はじつに効果的な警鐘となっているだろう。
 あるひとつの提示された未来への、反応。
 それを天秤にかけることが、この小説のおもしろさを生み出しているように思うと同時に、どうにも奇妙に感じられてしょうがないのだ。うまく説明ができないのだけれど。
 『第四間氷期』で描かれる未来の姿は、べつに衝撃的なものではない。そういう未来も、ありえるだろうなと思わせる公房の筆力はすごいと純粋に思う。けれども、その未来を否定し、現在にしがみつく人をわたしは否定できない。ただ現在を生きていてはだめなのだろうか?
 わたしが読み間違いをしているだけなのかもしれないけれども、後味の悪さと疑問が残る。
 (それこそが、狙いだという可能性はあるにしろ)。
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2007.11.13 | Bookshelf: 本棚  
新潮社:yom yom vol.4 グリーンとパープルは好きな色のくみあわせで、「yom yom vol.3」のとなりに「yom yom vol.4」を並べると気持ちがいい。
 このきれいな色の表紙とパンダにすっかりやられてしまって、いそいそと vol.4 も手にとってしまったのだった。
 「yom yom」は小説もいいけれど、エッセイやその他の読み物もなかなかすてきである。
 vol.1 からずっと連載されている「大平先生の yom yom 診療室」は、「診療室にきた赤ずきん」の作者で精神科医の大平健先生と、「だめんずうぉ~か~」の作者・倉田真由美さんが対談するかたちで「現代人の心のヤマイ」をユーモアまじりに斬っていくのが愉快だ。すべてを鵜呑みにはできないけれど、ユーモラスな語り口が楽しい。
 そして今回の特集・「ブンガク散歩」に、ぐっときてしまった。
 京都、東京(銀座・田端・世田谷など)、軽井沢、鎌倉。近代文学ゆかりの地を訪ね歩いた短いエッセイをあつめた特集で、近代と現代がリンクする不思議な感覚にとらわれた。とくに作家・森見登美彦さんが京都大学時代のことにも思いをはせつつ書かれた「登美彦氏、京都をやや文学的にさまよう」が、どこか幻想的な京都の雰囲気とよりそっていて、何度も行ったはずのところをもう一度歩いてみたい気分にさせられる。
 そうだ、京都にいこう。
 もちろん小説もいい。毎号かならず海外の作家をとりあげていて、今回はジョン・アーヴィング、まだ読んだことのない作家だが、自伝的エピソードを興味津々で読みきってしまった。
 また、ここにきて気づいたのは、書き下ろしの作品に(連載というわけではなく)同じ世界の話で、「あ、前の話とつながっていたんだ」と思うものがいくつかあること。これは次も読まないと、わくわくしてしまった。
 次号 vol.5 は11月27日発売だそう。たのしみ!
2007.11.04 | Bookshelf: 本棚  
狩野永徳:チラシ狩野永徳:入場券夜の京都国立博物館
 「卒業試験が終わったら」を合言葉に、「行こう」と決めていた京都国立博物館の「狩野永徳」展。
 友人が仕入れてきた前情報によれば、「平日の朝いちに行っても、すでに200人ほど並んでいる」「行列がものすごい」という。夜間なら日中よりはましだろうということで、夜の20時まで開館している金曜日の夕方を狙って一緒に行ってきた。
 なお、ふだんは金曜日だけの夜間開館(20時まで・入館は19時半まで)であるが、現在、期間中の土曜日と日曜日の開館延長がある。
【京都国立博物館:開館延長のお知らせ

 国立博物館に入るのは、これがはじめてになる。
 お向かいの三十三間堂には何度も訪れているのに(大きな千手観音坐像を中心に、千体の千手観音立像がならぶお堂は圧巻)、国立博物館はいつも屋根をながめるだけだったのだ。

 いろんな意味で、夜の博物館もいい。
 人の数もたぶん日中よりは控えめで、18時半すぎに行ったら待ち時間なしですんなり入れた。
 なにより橙色の光に照らされた博物館の姿が美しい。入場ゲートをくぐると、思わずため息がもれてしまった。「狩野永徳」展が開催されている特別展示館は、煉瓦造りがすてきな洋風の建築で、明治時代に建てられたものだと、あとで知った。
 中に入るとそれなりに人はいるものの、絵がまったく見えないというほどでもない。ただ、絵が低い位置にあるので、休日の日中だと大混雑で見えないかもしれない。加えて目玉の「洛中洛外図屏風」や「唐獅子図屏風」の前には人だかりがしていて、「立ち止まらないでください」との係員さんの誘導もむなしく人の動きが少なかった。特に前者はものすごく細かいので、近寄ってじっくり見たいという人が多いのだろう。

 狩野派の起源は、室町時代にさかのぼる。
 室町幕府の御用絵師であった狩野正信を祖とし、室町・安土桃山・江戸時代のおよそ400年にわたって日本画の職業画家集団として活躍した。
 いまでも、二条城やあちこちの寺院に狩野派の絵を見ることができる。
 その狩野派の絵を、安土桃山時代を生きた永徳を中心に祖父の元信、父親の松栄の作品、狩野一門による工房としての作品をまじえて展示したのが今回の「狩野永徳」展である。ほとんどが失われてしまった数少ない永徳の作品(なかには初出展のものもある)を回顧しようという試みだ。
 狩野派といえば職業画家集団であり、壁画や扇、襖絵などを「仕事」として請け負った。そのため手本に沿って描くことが重視され、そういった背景から、狩野派の絵というのはどちらかといえばパターナリスティックで様式美を重んじるものが多い。
 時代が違うこともあり単純に比較はできないが、だからわたしなんかは金持ちの道楽として自由にのびのび描いていた伊藤若冲のほうが、実は好きだったりする。
 とはいえこの展覧会で見る永徳の絵は、パターナリスティックなだけではない、絵師としての気迫を感じるものもいくつかあって、見入ってしまった。
 大胆にして、かつ繊細。
 勢いのある筆致で描かれたと思えば、近寄ってみると存外に細かい細工が入っていたりする。たとえば菊の花弁がひとつひとつ絵具で盛り上がっていたり、金箔に金で文様を描いたり。
 個人的には、永徳の作品を後世になってから狩野芳崖が写生したという、「永徳筆天瑞寺障壁画図縮図」に興味をひかれた。墨でささっと写生され、うすく色わけされている。壁画の色づけを「金」「コン」「朱」などと書き入れているのがおもしろい。
 それにしても洛中洛外図屏風のこまかさはすごかった。
 永徳は48歳で亡くなっているそうなんだけれども、売れっ子画家で絵の仕事は山のようにあるし、こんなこまかい絵を描いて神経はすりへらなかったのだろうか……ものすごい集中力だと思う。

 そして医師国家試験のマークシート式模擬試験を卒業試験後の2日で解いて、学校に提出したあと見にいくという強行軍がたたって、かなりの眼精疲労があったのが残念。金箔をふんだんに使った豪華絢爛な絵、緻密な描写がなされた絵は、細かいところのくふうに釘付けになりつつも目がちかちかしてよく見られなかった。
 小さめのオペラグラスや双眼鏡を持参している人もみかけて、うまい手だなあと思う。持っていくと、いいかもしれない。

狩野永徳
 2007年10月16日(火)~11月18日(日)
 京都国立博物館
 時間:9時30分~18時(入館は閉館の30分前まで)
 開館延長:金・土・日は20時まで
 休館日:月曜日

【余談】
 NHKの視点・論点で画家の山口晃さんが「狩野永徳の美」について話されていたそうで、これがまた軽妙な語り口でおもしろい。
 一言一句もらさずそのままで文字に起こしてくれているので、要約ではなく読めるのがいい。
 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/5386.html
2007.11.02 | Art: 芸術  
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