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● 冷血
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 トルーマン・カポーティの作品を読もう、と唐突に思い立った理由は「カポーティ」という映画の公開にあり、映画に興味を持ったところからはじまった、といえる。ところでその映画「カポーティ」は、彼が『冷血』(すなわち、いまから感想を書こうとしている作品)を書くにあたっての、いわばノンフィクション・映画とでもいった体裁をなしている。
 そういったいきさつがあったにもかかわらず、当の『冷血』に手をつけたのは映画を見たあとのことで、しかも今日まで読み終えられずにいた。映画を10月の終わりに見にいったから、もうほとんど1か月ちかくが経っている。
 『冷血』は事実に基づいた小説である。
 1959年11月16日、カンザス州の小さな町ホルカムで、一家4人の惨殺事件が起きた。それに興味を抱いたカポーティは、綿密な取材を重ね、膨大な量の情報を再構築し、小説としてつくりあげていったのである。
 カポーティは自分で『冷血』のことを「ノンフィクション・ノベル」と表現している。ただのノンフィクションではなく、ノンフィクション(客観的事実の表現)でありながら、同時に小説であろうとした面白い試みをやっていて、その結果として「これは実際にあったことなのだ」ということを忘れさせるほど小説として完成度が高い。しかも、ふとした拍子に事実であるということを思い起こさせ、そこからさまざまな感情がわきでてくるのだ。
 被害者と犯人と、それをとりまく人々のようすで小説は織りなされていくが、作者自身は徹底的にそのなかから姿を消しており、いままでの彼の作品がつねにどこか作者自身を連想させるような要素を大いに含んでいたことと対照的である。
 しかし、あくまでも現実に即したものであろうとしている反面、皮肉にも(すぐ前でも書いたことだが)「これは実際にあったことなのだ」というのを忘れるほど、虚構=小説、でもある。このことが、強くわたしに『冷血』がカポーティの作品であることを感じさせ、彼のもつ、現実と虚構のさかいめがあいまいになるような、ふしぎな魅力もまたいかんなく発揮されているといえるのではないだろうか。
 サスペンス的な要素も含み、この先がどうなるのだろうという高揚感も味わえるので、あえて内容については触れないことにしよう。
 訳は、滝口直太郎。図書館で借りた古い本だから訳語も微妙に古く、たとえば現在の「統合失調症 (schizophrenia)」に昔の「精神分裂病」という訳語が使われていたりするのはしょうがないことで、少しの訳のばらつきを除けば読みやすいほう。
 いまは佐々田雅子の新訳であたらしい版が出ているので、たぶんそちらのほうが現代的な訳だろう。『冷血』は再読したい作品なので、今度は新訳で読もうと思う。
2006.11.16 | Bookshelf: 本棚  
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