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 10月25日に、映画「カポーティ」を見てきた。
 トルーマン・カポーティは、1924年9月30日アメリカ生まれの小説家。映画「カポーティ」は、1959年11月16日カンザス州の小さな町ホルカムで起こった一家惨殺事件を彼が取材し、犯人と交流し、ノンフィクション・ノベルという事実をもとにした小説『冷血 (In Cold Blood)』を書き上げていく過程を追っていく。ジェラルド・クラークが書いたカポーティの伝記が原作。
 と、要約すればただそれだけの地味な映画にすぎない。
 カメラはカポーティとその周りの人々をとらえ、カポーティの姿を浮き彫りにする。とくに、一家惨殺事件のふたりの犯人のうちのひとり、ペリーにカポーティが興味を抱き、彼と交流する姿にかなりの時間をさいている。
 ペリーと対話し時に涙するカポーティ、社交界の中心となって軽薄なブラック・ジョークを飛ばすカポーティ、真摯に語るカポーティ、嘘をつくカポーティ、恋人と電話するカポーティ(彼は同性愛者だそう)、かん高い声で独特のしゃべり方をするカポーティ、傲慢に自分を誇るカポーティ、悩むカポーティ。
 そういったカポーティの姿は、おそらく見る人にそれぞれ異なった感想をもたらすだろう。卑劣で嫌なやつ、小説のためにここまでするのか、変な人、などなど。
 わたしには彼は嘘つきで、でも同時にとても正直で、そのときそのときの気持ちは正直な気持ちであったようにも思えるのだ。嘘をついている当の本人にも、嘘か本当か、わかっていないみたいに。
 それは彼の書く作品そのもののような、つまり現実と虚構の入りまじった、どこかその場にそぐわない不思議な姿だとそのとき強く感じた。カポーティを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンのすばらしい演技のためでもあるけれど、だから映画で見たカポーティは、ときどき画面の中でそこだけ貼り付けたような、場から浮いたような、目を引く力を持っていたと思う。傲慢で尊大で、でも目が離せない。
 ペリーを演じるクリフトン・コリンズ・Jrもいい。とくに目がすてきで、逮捕されてからのすさんだ目、話をするときの光る目、目がとても印象に残っている。ペリーもまた、凄惨な殺人を行った犯人である反面、非常に純粋な側面を持っており、どちらが本当の彼なのだろうと思わせられるのだ。
 乱暴に結論づければ、カポーティもペリーも二面性をもっている、といえる。あるいは、人間はそういった相反する性質をもっているものだが、それが極端にあらわれているということだろうか。
 カポーティは映画のなかで、「彼と私は一緒なのだが、あるとき彼は家の裏口から出て行って、私は表玄関から出て行った」とペリーについて語っている。しかし、もしかしたら誰でもそうなのかもしれない。そこを考えると、不思議な気持ちになった。
 映画はカポーティとペリーの交流の終わり、すなわちペリーの死、絞首刑、によってクライマックスを迎える。わたし個人の感じ方かもしれないけれど、後味の悪さはあまり感じられなかった。凄惨な事件と、作品のために死刑を延期させようとする作家カポーティと、殺人犯を描いているにもかかわらず、それらがまるで現実にうすいベールをかけて覆ったような色調で見えていた。ある意味でそれはとても、カポーティにふさわしい表現で、カポーティその人のような映画だったように思う。
2006.11.17 | Movie: 映画  
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