牡丹の柄の着物に袴で壇上に上がり、学長から学位記を受け取る。学長と握手をしたあと「がんばって」と背中をポンと叩かれた。
だからだろうか。これまでの卒業式では「終わった」という感じだったけれども、いまはむしろ「これからがはじまりだ」と背中を押してもらったような気持ちが強い。
1回の留年を経て医学を学んだ7年間、しんどいこともいろいろあったし、やめたほうがいいんじゃないかとか、医師には向いていないんじゃないかなんて思ったこともある。
でも、先生がたや職員のみなさん、先輩、同級生、後輩、そして家族や大学以外の友人に支えられて、なんとかここまでたどり着けた。
いまだって正直なところ、医師になるという選択をしたことについて、「えらいところに来てしまったもんだ」という気持ちがどこかにある。それは、わたしに限らずの話で。医師としてきちんと働きたいという気持ちはもちろんほとんどの人が持っているけれど、昨今の医療情勢をかんがみるに、医療の未来やそこで働く医師の未来はけっして明るいとは言えないことを感じ取っているから。
これからの医療はどんどん変わってゆく。だから先が読めないし、しかもそれは良い変わり方ではないだろうなということだけは感じられて、無駄に不安になってしまうのだ。
同級生の多くの心配事は、「国試に受かっているか」と「受かっていても医師としてちゃんと働けるんだろうか」。もちろん、わたしもそう。
だから、医学科にいた7年間よりもこれからのほうが絶対に大変だし、しかも自分ひとりの力でどうにかなるような生易しいものでもないだろう。
だから、学長が背中を叩いてくれたことがうれしかった。
学長は今年退官されて、現在の副学長が学長になられる。
副学長にはもう、頭が上がらないほどいろいろお世話になった。
謝恩会でお会いしたとき「君は、ほかの人の手助けなしにはやっていけないんだから、それを当然と思わず、感謝の気持ちを忘れないように」とおっしゃられた。「障害のある人は、どうも手助けのあることを当然と思いがちだから気をつけるように」とも。ドキっとした。その通りだと思うし、そのことを忘れていないかときどき振り返りたい。
これから働く先の先生も、「謙虚な気持ちで、でも前向きに。問題があったら、落ち込む前にどうすれば問題解決できるかを考えましょう」とおっしゃってくださった。
出会う人に、恵まれている。
2年生を2回やることが決まったとき、先生にも両親にも「12年かかってもいいんだから、ゆっくり卒業しなさい」と言われたことを思い出すと、7年で卒業できたことが奇跡みたいに思える。
謝恩会でお会いした多くの先生がたにも、「卒業できてよかった」とのお言葉をいただいた。あんまりいい学生じゃなかったから、先生がたには迷惑のかけ通し、お世話になりっぱなしでどちらにも頭が上がらない。
この7年間ですこしは成長しただろうか?
7年間というと生まれたての赤ちゃんが、もう小学校1年生になっているくらいの年月なのに、振り返ってみれば長かったような短かったような不思議な感覚に陥る。
入学時にもらった「入学に際しての決意書」を卒業式の前に返してもらい、翌日おそるおそる読んでみたら、頭を抱えたくなった。この恥ずかしさはなに!?もう、二度と見る勇気がない。なんということを書いていたのだろう、あのときの自分を殴ってでもこれを提出するのを止めたい!という感想が出る程度には成長したと言っていいのかも。
先生だけではない。入学時の同級生にも、一緒に卒業した同級生にも恵まれた。留年して、でもこの同級生たちと一緒に勉強ができたことに感謝している。あまり関係のよくなかった人とも最後の最後にうれしいできごとがあって、しんどかったことが全部それだけでふっとんだ。
これからはみんな各地にちらばるから、なかなか会えない友だちもいる。
けれども、フィールドが同じだという気持ちが根底にあるからか、そういう人たちとも「しばらくのお別れだね」と笑顔で握手。また会えるかもしれないし、実際に会えなくても医学の世界で会うことはできる、そんな気持ちだ。
ふしぎと悲しいとか、寂しいとか、そういうことを朝から晩までまったく思わなかった1日。
この大学で、医学を学ぶことができてよかった。
学ぶ機会を与えてくださり、よい学生ではなかったにも関わらず最後まで支えてくださった大学にはどう感謝の気持ちを伝えていいかわからないほど、感謝している。
今後も学ぶ機会を与えてもらっていることに感謝しつつ、学んだことを少しずつなんらかの形でだれかに還元できたらいいなと思う。
だからだろうか。これまでの卒業式では「終わった」という感じだったけれども、いまはむしろ「これからがはじまりだ」と背中を押してもらったような気持ちが強い。
1回の留年を経て医学を学んだ7年間、しんどいこともいろいろあったし、やめたほうがいいんじゃないかとか、医師には向いていないんじゃないかなんて思ったこともある。
でも、先生がたや職員のみなさん、先輩、同級生、後輩、そして家族や大学以外の友人に支えられて、なんとかここまでたどり着けた。
いまだって正直なところ、医師になるという選択をしたことについて、「えらいところに来てしまったもんだ」という気持ちがどこかにある。それは、わたしに限らずの話で。医師としてきちんと働きたいという気持ちはもちろんほとんどの人が持っているけれど、昨今の医療情勢をかんがみるに、医療の未来やそこで働く医師の未来はけっして明るいとは言えないことを感じ取っているから。
これからの医療はどんどん変わってゆく。だから先が読めないし、しかもそれは良い変わり方ではないだろうなということだけは感じられて、無駄に不安になってしまうのだ。
同級生の多くの心配事は、「国試に受かっているか」と「受かっていても医師としてちゃんと働けるんだろうか」。もちろん、わたしもそう。
だから、医学科にいた7年間よりもこれからのほうが絶対に大変だし、しかも自分ひとりの力でどうにかなるような生易しいものでもないだろう。
だから、学長が背中を叩いてくれたことがうれしかった。
学長は今年退官されて、現在の副学長が学長になられる。
副学長にはもう、頭が上がらないほどいろいろお世話になった。
謝恩会でお会いしたとき「君は、ほかの人の手助けなしにはやっていけないんだから、それを当然と思わず、感謝の気持ちを忘れないように」とおっしゃられた。「障害のある人は、どうも手助けのあることを当然と思いがちだから気をつけるように」とも。ドキっとした。その通りだと思うし、そのことを忘れていないかときどき振り返りたい。
これから働く先の先生も、「謙虚な気持ちで、でも前向きに。問題があったら、落ち込む前にどうすれば問題解決できるかを考えましょう」とおっしゃってくださった。
出会う人に、恵まれている。
2年生を2回やることが決まったとき、先生にも両親にも「12年かかってもいいんだから、ゆっくり卒業しなさい」と言われたことを思い出すと、7年で卒業できたことが奇跡みたいに思える。
謝恩会でお会いした多くの先生がたにも、「卒業できてよかった」とのお言葉をいただいた。あんまりいい学生じゃなかったから、先生がたには迷惑のかけ通し、お世話になりっぱなしでどちらにも頭が上がらない。
この7年間ですこしは成長しただろうか?
7年間というと生まれたての赤ちゃんが、もう小学校1年生になっているくらいの年月なのに、振り返ってみれば長かったような短かったような不思議な感覚に陥る。
入学時にもらった「入学に際しての決意書」を卒業式の前に返してもらい、翌日おそるおそる読んでみたら、頭を抱えたくなった。この恥ずかしさはなに!?もう、二度と見る勇気がない。なんということを書いていたのだろう、あのときの自分を殴ってでもこれを提出するのを止めたい!という感想が出る程度には成長したと言っていいのかも。
先生だけではない。入学時の同級生にも、一緒に卒業した同級生にも恵まれた。留年して、でもこの同級生たちと一緒に勉強ができたことに感謝している。あまり関係のよくなかった人とも最後の最後にうれしいできごとがあって、しんどかったことが全部それだけでふっとんだ。
これからはみんな各地にちらばるから、なかなか会えない友だちもいる。
けれども、フィールドが同じだという気持ちが根底にあるからか、そういう人たちとも「しばらくのお別れだね」と笑顔で握手。また会えるかもしれないし、実際に会えなくても医学の世界で会うことはできる、そんな気持ちだ。
ふしぎと悲しいとか、寂しいとか、そういうことを朝から晩までまったく思わなかった1日。
この大学で、医学を学ぶことができてよかった。
学ぶ機会を与えてくださり、よい学生ではなかったにも関わらず最後まで支えてくださった大学にはどう感謝の気持ちを伝えていいかわからないほど、感謝している。
今後も学ぶ機会を与えてもらっていることに感謝しつつ、学んだことを少しずつなんらかの形でだれかに還元できたらいいなと思う。
2008.03.27 | Scrap: 雑記




