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Amazon.co.jp:真昼の悪魔
 文庫の裏表紙にある解説には、「推理長編小説」と説明されている。
 女子医大附属病院で起こる奇怪なできごとを追う、というかたちだけ見れば、たしかに推理小説といっても差しつかえない。けれども『真昼の悪魔』は推理小説に似た体裁をとってはいるけれども推理小説というよりは、カトリック教徒である作者:遠藤周作の神とはなにか、悪魔とはなにかという読者への強烈な訴えかけのようであった。

 神も悪魔も目に見えない。
 あるとすれば、人々の心のなかにそれらはある。
 悪魔について、『真昼の悪魔』のなかにこんなくだりがあった。
「悪魔は埃に似ています。(中略)埃は目だたず、わからぬように部屋に溜っていきます。目だたず、わからぬように……目だたず、わからぬように……。悪魔もまたそうです」
 わたしはカトリック教徒ではなく、実家は仏教だが熱心な仏教徒ではなく、キリスト教的な手垢にまみれた実体としての「神」の存在は信じていない。
 けれども、「神」と名づけられるなにか、あるいは「悪魔」と名づけられるなにかは、人の心のなかに普段は目だたぬようにそっとあるものなのだとは感じている。それをキリスト教では神とよび悪魔とよぶだけで、それは誰の心のなかにも存在しうるものだとも。
 埃のように溜まってゆく何ものにも無感動で無関心な心。自分さえよければいいと考える心。自分の楽しみのために他を犠牲にする心。暴力をふるう心、暴力を楽しむ心、それは誰の心のなかにもそっと息をひそめてじっとたたずんでいる。
 しかし同時に、それに耳を傾けない心もどこかに存在している。
 それに救いを求めるとき、宗教というかたちをとらずとも、それは「信仰」と呼べるかもしれない。そして逆に、埃のように溜まってゆく悪魔の心に支配され、乾いた心を抱えてさまよう人となることもある。

 20年以上も前に書かれた小説にもかかわらず、乾いた心を抱えた現代人に鋭く問いかけるものがあった。
2006.07.16 | Bookshelf: 本棚  
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