
かつてわたしの世界は光に満ちあふれていて、ゆるぎのない確固たる自信と、地面に2本の足をしっかりとつけて立っているという実感があった。
世界は単純明快で、わかりやすい善と悪で構成されており(すくなくともそう思い込んでいた)、自分の思う悪に対しての強い怒りを持っていた。
悪を行うものに対して厳しく、怠惰や脆弱をきらい、光りかがやく真白ないっぽんの道しかそこにはなかった。
いつからだろう?
混沌のなかに気づいたらわたしはいて、ものさしどおりの正義や悪意や善悪などないと思いはじめていた。そして、ふつうに生きることが一番難しいことだとも感じている。
遠藤周作の『悲しみの歌』にはさまざまな年齢の、さまざまな思想を持った人物が登場する。そこで作者は彼らの見るものや感じることを通して、わたしたち読者に問いかけてくるのだ。
本当に正しいこととは、人生の救いとはなんなのか。
混沌とした人生のままならない悲哀が、光りかがやく正義感と善に満ちあふれた人々によってこそ強調されているのは作者の計算か、皮肉というべきか。
確固とした正義が、悪を糾弾する。
その悪といわれるものたちの悲しみの歌を、光りかがやく人々は聞いただろうか。そもそも、それは悪なのか。
5年後、10年後に読み返したい本。
2006.07.18 | Bookshelf: 本棚