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ロダン 創造の秘密
 ロダンを知らなくても、「考える人」は多くの人が知っているだろう。台座に腰かけ、ひたいに手をやる独特のポーズをとったこの彫刻「考える人」はロダンの代表作であり、彼自身の墓の上にも安置されている。
 わたしも、「考える人」以外の作品はほとんど見たことがない。しかし、あちこちの美術館で何度か出会い、荒削りのようにも、繊細なようにも見える彼の作品には心ひかれるものを感じていた。
 そんなロダンの作品が一堂に会したのが、今回の「ロダン 創造の秘密」展である。
 「これは見たい!」と、趣味を同じくする友人と一緒に足を運んだ。

 ところが、見れば見るほど謎ばかりが深まる。
 ロダン、彼は何を見、何を考えていたのだろう。
 「白と黒の新しい世界」と副題にもあるように、展示物は「白」の石膏や大理石と、「黒」のブロンズ――白と黒の2色を中心にして展開される。
 けれども、よく見てみれば。
 ブロンズ(黒)にあたる光の部分は白く光り、大理石(白)も黒い陰をつくる。白と黒、対極にあるもののように見えるけれども、それらはグラデーションを描いているのだ。
 同じようなことが、作品の持つ性格にもいえると思った。
 たとえば「眠り」という作品は、同じ型で大理石と石膏のどちらもでつくられている。石膏で作られた「眠り」が緻密ではっきりとした輪郭を持っているのに対し、大理石で作られた「眠り」は輪郭があいまいでぼんやりとはかなげな印象をまとっている。
 緻密で繊細な像があるかと思えば、大胆で荒削りな像もある。
 執拗なまでに試作を繰り返し、ついに完成しなかった作品もある。粘土を型として製作するという性質上、同じ作品がいくつもある。作品と作品を組み合わせて、新たな作品を作り上げるかと思えば、身体のある部分だけの作品もある。
 ロダンの作品をひとつひとつ追っていくと、彼自身のことを思わずにはいられない。頭部を彫りだした時点で、あえて完成とした「ラ・パンセ」(思索)。冒頭の「考える人」。
 ロダンの作品世界を見ると、まるで彼の思索のあとを追うように見え、しかもその広さに感嘆するばかりだ。彫っても彫っても、彫りだせないような気がしてくる。

 フランス・国立ロダン美術館の好意で、できる限りケースや柵に覆われない状態で作品を見ることができる。作品の光沢やマットな状態もガラスごしにではなく間近で見ることができ、思わず触りたくなってしまった。もちろん触ってはだめで、行かれるときはお気をつけて。
 金曜日、土曜日の18時以降に行くと、有名な洋菓子店「アンテノール」の、白と黒をイメージしたクッキーをプレゼントしてくれるそう。いいなあ。

【ロダン 創造の秘密 ―白と黒の新しい世界―】
 2007年4月3日(火)~2007年5月13日(日)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10時~18時(金・土曜日は~20時)/入場は閉館30分前まで
 休館日:月曜日(ただし4月30日(月・祝)は開館、翌5月1日(火)休館)
2007.05.02 | Art: 芸術  
ミイラと古代エジプト展3Dメガネとチケット
 大英博物館から神戸市立博物館まで、ミイラがやってきた。
 関西国際空港から、イギリス・ロンドンのヒースロー空港までは空路で片道12時間。ミイラのほうも、ユーラシア大陸のさらに東まではるばるやってくるとは、3000年前には思いもしなかっただろうなあ。
 じつは、大英博物館のミイラに会うのは今回で2度目。
 約8年ぶりの再会となった。
 高校の修学旅行がロンドンで、もちろん大英博物館にも足を運んだのである。ものすごい規模で、1か月くらいかけないと全部を見て回れなさそうなところだったことを覚えている。そこで何体かのミイラに出会い、写真を撮った(写真OKだったのだ)。そのうちの1体は「なかみ」だったので――帰国後、撮った写真をハハに「不吉だから」と焼き捨てられたことも記憶に新しい(ハハのほうはすっかり忘れていたけど)。

 さて、そんなミイラちゃんを、めずらしく父が「見に行きたい」というので、ひさしぶりに家族(ほぼ)全員でミイラを見に出かけた。
 「日曜日は1時間待ちらしい」
 との前情報であったが、わたしたちが博物館に着いた13時ごろの時点で「30分待ち」とのこと。が、思ったよりもすんなり入れる。
 この「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」では、まずイントロダクション(導入)の映像を見たあと、20分ほどの3Dムービーを見てから展示のほうに行くようになっている。ムービーの上映時間は決まっており、入れ替え制のようだった。
 ムービーを見るためのメガネは、右の写真にあるやつ。
 このムービー、なかなか面白い。短いんだけれど、「世界ふしぎ発見」とか「ミステリー・ハンター」みたいなのが好きなうちの家族、みんな見入っていた。立体映像だし、スクリーンが大きいので大迫力!
 展示のほうは、人がぎっしり。ただ、入場制限をしているため、まったく展示物が見えないということもなく、ゆっくりめに見ていけば見られる感じ。混んでるといえば混んでいるが、まだそこまでひどくはない。

 それにしても数千年以上前のものが、いまもこうやって色鮮やかに残っている。その技術力のすごさに感嘆し、同時に「埋もれているすごいもの」の存在を感じてぞくっとした。
 また、展示の目玉である「ネスペルエンネブウのミイラ」について、その棺に描かれた絵やヒエログリフの意味を解説してくれているのがいい。解説がくわしいので、「古代エジプト」についてあまり知らなくても楽しんで見られると思う。
 すごいな、ミイラ。火葬しか知らない現代の日本人には、ファンタジーみたいな世界。入れものとしての「からだ」にも、価値を見出していた古代エジプトの人たちの死生観、興味をひかれる。

 ところで余談だけれど、展示の目玉の一つが3Dムービーであるだけに、聴覚障害のある人にはツライかもしれない。
 入り口で「聴覚障害者むけの解説」をくれるんだけど、映像と同時では見られない(暗いから)。ある程度はじまる前に読んでおくと、内容がわかりやすかったので、ないよりはいいかも……でも正直字幕のほうが、と思わないでもない。字幕をつける作業って、すごい労力が要るから、コスト的にだめだったのかなあ。
 (07/05/03 追記:「3Dムービーのしくみ」)

 見おわって出たのは15時すぎ、そのときは行列がのびて「45分待ち」になっていたので、お早めに。

【大英博物館 ミイラと古代エジプト展】
 2007年3月17日(土)~6月17日(日)
 神戸市立博物館
 開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:毎週月曜日
     ただし4月30日(月・祝)は開館
2007.04.29 | Art: 芸術  
大エルミタージュ美術館展大エルミタージュ美術館展
 よく晴れた水曜日。春分の日にふさわしく春めいたいい天気の日で、友だちといっしょに朝から京都散策に出かけた。
 この「大エルミタージュ美術館展」は、その第一歩目。
 10時すぎに入ったら、もう、わりと人が入っていた。
 それもご年配の方が多く。絵と関係のない愚痴になっちゃうけど、正直みていて「あんな行動は慎もう」「ああいうふうに年は取りたくないなあ」と思ってしまう人、多い!
 ここに何をしにきてるんだ?と思うほどすたすたと足早に、ぶつかるのも構わず行っちゃう人。絵を見にきてるのはわかるんだけど、まわりが見えてないのかガンガン体や荷物がぶつかるぶつかる、な人(少なからずいた)。ぎちぎちに満員、というわけでもないのに。そこがとても残念。きれいに着飾っていても、どしどしとまわりを押しのけて絵を見ようとするおばさまがた、ちょっとなー、はっきり言って見苦しいなと思う……。
 愚痴の前置きが長くなってしまった。なんだか出鼻をくじかれたような心もちになって、ややイライラしながら鑑賞。そのせいか、面白い趣向!と思うのだけど、すなおに絵が入ってこない。短気は損気、まったくその通りだ。
 大エルミタージュ美術館展のポイントは、「自然と人間」となっている。人間が作り出した都市、を含めて、自然と人間との調和であったり対立であったり対比であったり、さまざまな視点から描かれた絵がならんでいた。
 大きな観点から見れば、人間もまた自然の一部であり、都市もまた自然の一部だと思う。その中で営まれるどのような生活も、「自然らしく」わたしの目にはうつった。人工的な建造物や人工的な営みと、自然の見事なまでの調和、を感じる絵もあり、そこが見ていて楽しかった。共生、調和、を意識するまでもなく―わたしたちはすでに、自然の一部で、人工的だと思われるいまの生活だって、大局からみれば流れの中の一部にすぎないのかもしれない。
 80点の絵画が一同に、それもルネサンスから印象派などまで多彩な絵が並ぶ。おそらく、「これぞ!」という大作はあまり出ていないけれど、見ごたえはある。

【大エルミタージュ美術館展】
 2007年3月14日(水)~5月13日(日)
 京都市美術館
 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)
2007.03.21 | Art: 芸術  
揺らぐ近代
 「揺らぐ近代」は、西洋文明が身近なものとなりつつあった明治時代以降、つまり「近代」と形容される時代に絵画はどう変容してきたのかを展示しようという試みだ。
 出展されている絵画は、狩野芳崖や高橋由一をはじめ、岸田劉生、黒田清輝、藤田嗣治、川端龍子などあちらこちらの美術館でお目にかかるような、そうそうたる顔ぶれである。じっさい、東京国立近代美術館などで目にした作品もまじっていた。
 試みとしては、面白い。
 しかし、どうもしっくりこなかったな、という感じなのだ。もちろん、中には「おおっ」と思うような作品もあったことは確かだ。だが、同じ京都国立近代美術館で以前開催された「プライスコレクション―若冲と江戸絵画展」に比して、「これはすごい!」という純粋な感嘆を展示会全体から感じることがなかったのも事実だ。
 単なる趣味なのかもしれないけれど。
 思うに、浮世絵などの古典的な手法が中心だった中世から、きわめて自由な表現方法が許容される現代までの、過渡期に描かれた作品が中心だということがひとつの原因のような気がする。新しい手法と伝統的な手法のはざまで、「描く」という行為そのものよりも、どういった手法(技術:テクニック)を選ぶか、何で(油絵具で?岩絵具で?)描くか、新しい表現の手法はないか、そこに腐心しているという印象を受けた。
 それが悪いというのではない。西洋文明の流入はそれまでの価値観を変え、当時の画家に技術的な面での革新をもたらしたことだろう。革新は、つねに混沌としたものとなる。その混沌こそが「揺らぎ」であり、技術も、画家自身も、揺らいでいたといえるのだろう。そのため、「揺らぐ近代」というテーマを象徴するかのような展示ではあった。
 もう一押し、「近代」という時代背景の解説があれば、とそれが残念。「近代」は、日本がさまざまな面での著しい発展を遂げながら、日清・日露戦争などの戦争もあった時代である。そういう、まさに「揺らぐ」近代の時代背景があれば、「揺らぎ」効果をより強められたのでは。
 ともあれ、出展された絵そのものは、完全、自分の趣味に走れば岸田劉生の「道路と土手と塀」が良かった。これ、以前に東京国立近代美術館でも見ていて、そのときも「ただの風景なのに、なぜこんな力があるのだろうか」というくらいの力強さを絵から感じた。あと、たぶん空の色が好き。オディロン・ルドンの「ベイルルバードへの道 (オルセー美術館蔵)」の空の色にも似て、この色そのものが好きなんだなあと実感。
 余談ではあるが、こちらのコレクション展に出ている「若き日の仏陀」もオディロン・ルドンの作品で、これもがっちりわたしの趣味だ!好きだなあ、なぜか。

【揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに】
 2007年1月10日(水)~2月25日(日)
 京都国立近代美術館
 入場時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 休館日:月曜日 (ただし2/12は開館し、翌2/13は休館)
2007.02.25 | Art: 芸術  
ビル・ヴィオラ―はつゆめ こんなふうに、表現できるんだ!
 新しいタイプのアートとの出会いは、新鮮な驚きをもたらしてくれた。
 ビル・ヴィオラがつくり出す作品群は、「ビデオ・アート」「映像アート」というらしい。わたし個人の所感ではあるが、それは静止画の絵画や写真とは異なり、かといって映画でもないと思った。絵筆のかわりにビデオカメラを表現手段として用い、なおかつ撮影された映像そのもので表現しようとしたものだ、という気がする。

 「はつゆめ」というのは56分のビデオ・アートで、最初にこれを見た。映画を見るときみたいに、上映時間が決まっている。時間がくると、ミニシアターのような小さな部屋に通されて、間をおかずにすぐに映像がはじまった。最初に日がのぼり、それから関係のあるような、ないような、不思議な映像の連続。
 何を感じて、どう解釈したかはきっと人それぞれだと思うけれども、わたしは生きることと死ぬことの妙のようなものを見たように感じた。となり合わせの生と死。暗闇のなかで、ネオンサインだとか車のライトだとか、たくさんの光が人魂のように浮かんでは尾を引いて消えていく。途中から灯篭流しをイメージしていたら、そのものずばりの映像もあった。ここの灯篭流しの映像も、すごいセンスで撮られていて、ただものじゃないなという感じ。
 こういう題材(生と死)で、いままでたくさんの芸術家がいろんな作品を作ってきたと思う。ビル・ヴィオラのようなやりかたは初めて見たから、試みとして面白かった。

 そのほかには8つのビデオ・アートが展示スペースに配置されており、こちらは上映時間はなく自由に見られるようになっている。いずれもテンポがゆっくりとしていて、「いらち(せっかち)」な関西人にはきついかもしれない。そこをぐっとこらえて、時間をかけてじいっと見ると、スルメのような味わいが出てくるというのが個人的な見解。
 たとえば「ラフト/漂流」という作品は、映像の最初では人種も性別も年齢も多様な人びとが混在している。そこに微妙なよそよそしさ、不調和が感じられた。ところがある瞬間、人びとはまさに「漂流」し、そこに「漂流者」という一体感が生まれる。一枚の絵画としての調和。その変貌は映像ならではだろう。

 もし、これからビル・ヴィオラの作品を見にいかれるのなら、1日かけて見るつもりで行くのがいい。駆け足鑑賞は、とてもじゃないができない。それでは「せっかく見にいったのに何だこれ」という感想にもなりかねないので、好みはあるとしても時間には余裕をもって。

【ビル・ヴィオラ―はつゆめ】
 2007年1月23日(火)~2007年3月21日(水・祝)
 兵庫県立美術館
 開館時間:10時~18時(金・土曜日は~20時)/入場は閉館30分前まで
 休館日:月曜日(ただし2月12日(月・祝)は開館、翌13日(火)休館)
2007.02.12 | Art: 芸術  
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